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KnoNの学び部屋

落ち着きのない大学院生が専攻に関係ない(むしろそっちのけで)学んだコトを記録しておく場所

知の編集工学 その2(前編)

今日は予定が詰まっているんで、久しぶりに気合いを入れて起きました。

残る眠気はカフェインで吹っ飛ばしてさくさく進めていきたいと思います。

 

知の編集工学 (朝日文庫)松岡正剛、2001)

第二章 脳という編集装置

です。

 

知の編集工学 (朝日文庫)

知の編集工学 (朝日文庫)

 

 

 第二章 脳という編集装置

「考える」ということの正体

 私たちはだいたい一日十四、五時間を起きて生活している。いま、その昨日の一日を思い出してほしい。たとえば「朝起きて、顔を洗い、新聞を読みながらトーストを食べ、ちょっと雑談をして学校や会社へいって……」というふうに。

……こういった一日を思い出すのに、昨日一日分の十四、五時間がかかるわけではない。……すなわち、十四、五時間の情報は、たかだか五、六分の情報に短縮できるのだ。

→これを<情報圧縮>という。

 

情報圧縮

=生の情報から、自分が注意を向けた対象である「図(figure)」の情報だけ取出し、「地(ground)」の情報を取り去ることで圧縮を効かせること。

 →何に注意を向け、何に向けないか、ということが重要になる。

→重要度を判別できない不得意な分野に対しては、情報圧縮が起こりにくい。

 

 このような私たちの「注意のしかた」の濃淡をもっと気をつけてみると、なかなか面白い問題がたくさん出てくる。

 たとえば「コップ」について考えてみる。これを「グラス」とよんだり「日用品」とよんだりしても構わない訳だが、私たちはとりあえず「コップ」と呼称する。

 「コップ」という単一の知識ラベルの中には複数の言葉(イメージ)の集合体が隠れている。「グラス」「日用品」というのも知識ラベルであり、知識ラベル群のネットワーク上の密集が「コップ」という対象の周囲を取り巻いている。

→このような関係性を<ハイパーリンク状態>という。

 

ハイパーリンク状態

=ある対象の知識ラベルが、複雑なリンク*1を形成してその一端にある知識ラベルに注目しただけでは何が連想されるのかわからないような状態。

 →本来的にはツリーのような階層構造はないが、注意を向けたところが「仮の親」となり子ラベル、孫ラベルを次々と引き出していく。このときの「仮の親」が「図」になっていく。

 

……「知識ラベル」とう用語、なんとなく分かるけどいきなり出てきて理解が不安。

「仮の親が図になる」という部分も自信がない。

 

 脳の中は無数の「図」のリンクが張り巡らされているハイパーリンクの集合体である。

→これを<意味単位のネットワーク>とよぶことにする。

⇒このネットワークは多層的、立体的であり、一つの知識ラベルはそれが含まれるレイヤーによって複数の意味を持ちうる。

 

このような<意味単位のネットワーク>を進むことを、私たちはごく一般的に「考える」といっている。

 →複雑なネットワークの中の話なので、そのルートも一意には定まらない。このジグザグした進行の軌跡こそが「思想」とも言うべきものである。

 

 少し、コンピュータの話と対応させることで理解への補助線を引いてみる。

言葉をあまり持っていない二歳の子どものようなコンピュータがあるとする。二歳児コンピュータだから、「一つの動作をする」(MOVE)というだけのためのコンピュータである。プログラミング言語もあまりない。……この二歳児コンピュータに「食べる」(EAT)というもうちょっと複雑な動作を命令するためにはどうするか。

→MOVE、START、STOP、GRASP、OPEN、REPEATといった単純な命令だけでも、工夫して組み合わせることによってなんとかEATという動作を表現できる。

⇒プログラムとは動作の筋書き、進行を伝えるためのものであり、我々の「考える」ということも「<意味単位のネットワーク>をひとつずつ進む」というように捉えれば、より細かい単位に分解可能である。 

 

 

編集とは分節であり、分節が情報を生み出す

 編集とは「情報の海」に突き刺さる句読点を打つこと、である。

→「情報の海」に秩序(オーダー、順序)をもたらす、とも言える。

⇒「かたまりを部分に分け、一定の基準の元に体系づける」ことこそ編集の本質。*2

 

 さて、そもそも情報とは何か。

 テキストの中ではいくつかの定義が紹介され、併記されている。

情報

①(情報科学エントロピーの逆数

②区別力、差異

③それが出現してくる不確実性の中から特定な判断を自らに下すもの

 (参考 情報 - Wikipedia

⇒いずれにせよ、重要になっているのは「区別(=秩序の導入、分節)」である。

→この区別の単位を、情報科学の世界では「ビット(bit)」という。

 

 コンピュータにおける「区別」についてもう少し考えてみる。

 コンピュータの原理にはジョージ・ブールによる「論理代数(ブール代数)」という概念が基礎付けられている。

ブール代数

=「真」と「偽」を1と0の二値記号によって表せるようにしたもの。どんな情報が対象であっても二値的に区切りながら進めば良いという原理を作る。 

⇒二進法と同一視するのはまずい?

 

 ブール代数による論理計算は、まずどんな情報をも同質的な単位(データ)に還元してしまう。

→全ての言語情報をデータにし(コーディング)、コンピュータで扱えるようになっている。

 

 まとめてしまうと「編集とはマスな情報の分節化」である。

⇒乱雑で大量な生の現象を、何かしらの秩序の元で体系化し、「情報」に加工する。

→編集工学では<意味単位のネットワーク>の中の一分岐点から次の分岐点までを、とりあえず<情報分節>とよんでいる。

 

 分節化は情報編集のプロセスにとって最も基本的な基礎作業である。

→人間の身体でさえも分節化によって構成された。指の中での親指の分節による「数」概念の獲得、喉の筋肉の分節による子音の獲得……。

→大半のシステム(系)が分節を基本単位として構造を成立させている。

 

……部分が先か、全体が先かという見方もある気がする。部分が寄り集まって統合し、全体を構成する場合は「分節」なのかな?

 「のっぺりとした一様なものがディテールの作り込みによって高度複雑化する」と考えると実に当然のことを言っているようにも思える。

 

 ここで重要になってくるのは「ひとつの分節化は他の分節化と対応しうる」という点。

=「分節化がオーダーとなり、そのオーダーがメジャー(ものさし)となって、別の分節化された情報を相互に測定できる」ことこそが重要。

→これが「(情報)文法の発生」を意味する。

 

……ここ、わかるようなわからんような。ようするにわかってない。

 

情報の「文法」

 「情報文法」とはなんだろうか?

 子供のころ、最初に西部劇とかサスペンス映画を見たときはけっこう驚くものだ。ともかくどんどん人が死ぬ。が、何度が見ているうちに慣れてくる。西部劇やサスペンス映画の分節のクセがわかってきて、次に類似映画を見るときに相互測定メジャーが作動する。これがしばしば「映画の文法」などの言われているものである。

 →先に文法があるのではなく、先に分節がある。分節力が文法を理解させる。

→「分節化は文法に先行する

 

……「映画の文法」というのは、「お約束」みたいなもののこと?

それだったら何となく分かるが、どちらかというと「文法」より「作法/manner」の方がしっくりくる言葉遣いになる。

 

 理解が不十分なのでもう少し引用してみる。

 映画を見ているとき、私たちは最初はかなり注意深くなりすぎている。画面に出てくるさまざまな人物の特徴を覚えようとしたり、背景の部屋に置いてあるモノに注意を向けすぎたり、登場人物のちょっとした動作に引き込まれすぎたりする。筋が掴めなくて、かなり疲れることもある。ところが、五分か十分かするうちに、私たちの理解の幅が一挙にしぼられて、たちまち映画の世界に没入してしまう。

……これは映画を作る側が観客の分節力を計算しているからだ。……逆に言えば、私たちの方では最初の五分か十分で、猛烈な勢いで分節調整をさせられているのである。画面情報の相互測定をさせられている。そしてそのうち、突如として「映画の文法」を了解してしまうのだ。

(強調は筆者)

 

……やっぱり「作法」の方が近い気がする。「この作品はこうやってみるものだ」という調整をした経験は誰にだってあるはず。場数を踏んで作法の心得がある人はその調整が容易い。

 

……時間制限が来たのできょうはここまで。

 部分部分はともかく大筋では納得のいく話が続いていたように思います。

 情報科学の分野に踏み込むなら、自分でやれるところまでとはいかなくともプログラミングの基礎ぐらいは理解しておいた方がいいのかなとも思ったり。

 

それでは

 

KnoN(90min)

*1:都市・建築系の分野では「セミラティス」という用語がある。

相互に参照し合う関係性で、階層的なツリーと対比される概念である。

*2:この「秩序」あるいは「一定の基準」というものが人によって異なる、と言う点には注意が必要。