知の編集工学 その5(中編)
気づいたらもうゴールデンウィークでした。
何となく5月に入ってからだと思っていたのに、明日も明後日も休講で実質休み。
先生方も休みたい?
引き続き
知の編集工学 (朝日文庫)(松岡正剛、2001)
の
第五章 複雑な時代を編集する
の中盤戦をやります。
物語の「原型」
私たちは「物語」というものがどういうものかをよく知っているだろうか。
おそらくうすうす知ってはいるはずである。私たちは子供のころからたくさんの物語につきあわされてきたし、いままた日本のシナリオや企業のシナリオに悩まされているわけだ。
では、私たちは「それぞれの物語がつながっている」ということを知っているだろうか。
これもうすうす知っているかもしれない。たとえば、テレビ番組の『水戸黄門』はいつも似たようなパターンの物語で、それが毎回つながっているような気がするし、『男はつらいよ』もいつも同じ筋書にもとづいているような気がする。……
しかしそれなら、世界中にシンデレラの物語が八〇〇以上も研究者によって採集されていて、たとえば日本の信濃川の流域ですら約七五種類ものシンデレラ・ヴァージョンが伝承されていたということは、どうだろう?
(強調は筆者)
おそらく物語には「物語の母型」(=<(ナラティブ・)マザー>)のようなものが存在する。
→私たちの中にひそむ物語感覚を呼び起こす存在
<マザー>の存在を仮定すると、次のようなことが考えられる。
- <マザー>が私たちの編集感覚の根本に関与している。
- 物語にマザーがあって、それが鋳型や原型となってヴァリエーションを生むならば、物語そのものがメディア性をもつ、あるいはメディアが物語性を持つと言える。
- 幾つもの物語がつながっているなら、それらが大小に入り組んだ大規模なナレッジベースを作れるかもしれない。
テキストでは「エデンの園」の(特にリンゴの要素にに着目した)系譜と多様性を紹介しているが、ここでは省略する。
→重要なことは<マザー>が<新マザー>を生成するということ。
→物語は連鎖し、それはあたかもハイパーメディアのような繋がりを持っている。
→<マザー>を取り入れたナラティブ・データベースとして、<オペラ・プロジェクト>を立ち上げた。
⇒「ハイパーメディア性」はともかく、「<マザー>が<新マザー>を生成する」なんてことは当たり前でわざわざ特記するほどのことでもない気がするが……。
「物語学」の発端と展開
さて、もともと「物語学」というものは、すでにレヴィ=ストロースの構造主義の中でも発酵していたし、その前にはロシア民話や昔話の画期的な研究者であったウラジミール・プロップの『昔話の形態』に発祥していた。もっと前なら、グリム兄弟やアレクサンダー・フンボルトだった・
なぜ物語がこのようなヨーロッパを代表する知的な連中のあいだで関心が持たれたかというと、そもそもはヘルダーが異常な"発見"をしたからだった。
その発見とは何かというと、
ヘルダーは言う、「卑しい民間の口誦物語、メルヘン、神話は、ある程度は民衆の信仰、その感覚的直観および力と本能の成果である。そこでは人々は知らないが故に物語に夢を見るし、見ないが故に物語を信じるのである。そこではけっして要素に分割することができない素朴な魂全体が活動しているのだ」と。
(強調は筆者)
→この「素朴な魂の全体」こそが物語の基本の動向を捉えている。
西洋ではプロップ、トドロフ、グレマス、レヴィ=ストロース、ロラン・バルトなどが次々と物語を分析し、物語の中の時間に着目したポール・リクール、言語模倣論ともいえるミモロジーを提案したジェラール・ジュネット、「物語によって社会はテクスト化されている」と主張したリチャード・ブラウン、『物語論辞典』を編んだジェラルド・プリンスなどがいる。
日本においても三谷栄一・三谷邦明の物語史研究、角川源義の語り部研究、大塚英志の物語消費論などに発展している。
……で、この「素朴な魂の全体」ということの意味が分からないのだけれど。 おぼろげなイメージすらも掴めない。
日常の中の「物語」
物語とは不思議なものである。
たいそう広い領域で、かなり広い役割を担ってきた。神話も物語だし、ヘロドトスや司馬遷が綴った歴史も物語であった。私たちが織田信長や祖父について知っていることも、ひょっとすると寝物語だったのかもしれない。いったいどこまでが歴史でどこまでが物語だったのか、私たちはいつのまにかすっかりわからなくなっている。
→物語がかなり壮大な役割を担ってきたハイパーメディアであったことは間違いない。ヘイドン・ホワイトは「物語は文化間の通信が可能になる人類の普遍的特性である」とさえ主張している。
人間の成長・発達の中でも物語は大きな役割を果たしている。
- 第一次物語回路=幼い子供たちがその日の出来事を話したり記したりするときに、普遍的に発現する(と思われる)思考の様式。
- 第二次物語回路=小説や他人の話など、外部からの獲得した物語を借り受け、さまざまな自己体験を添加してアレンジする思考の様式。
→このような回路を含め、結局はアタマの中に定着したいくつかの物語回路を組み合わせる(編集する)ことで必要に応じたアウトプットとしての物語を作っている。
物語構造や物語回路が日常の生活の中でさえ作用していることから、次のようなことを読み取ることができる。
- 物語の<マザー>はいまなお脈々として生きている。
→いわゆる「物語」の中だけではなく、心の奥底にある「事」のマザーパターンとして現れてくる。 - <マザー>は意外にも単純な構造でできている。
- <マザー>から言語体系や国語が形成されていった。
→特定の<マザー>、例えば川による2つの世界の分断のマザーなら、その<マザー>を物語るために「川」や「分ける」という感覚を表す語彙や表現が整備されていった。
……最後、「このようなことから次のような事が分かる」とテキストで議論が展開されているのだけれど、イマイチ問いと答えが対応しているように思えない。
とりあえず指摘できる3点として、「今も引き継がれている」「意外と単純な構造」「言語体系の形成に影響を与えた」を押さえておけばよいか。
「物語の構造」を解体する
このように<マザー>は単純な構造を起点に作られているが、今までの分析ではその種類はそう多くない。
⇒「<マザー>・十数種×物語の筋・5型×物語の要素・5つ」で大体のストーリーは分類する事ができる。
<マザー>=物語の原型
- 境界マザー、往還マザー、応答マザー、遺失マザーなど、十数種類
- 詳しい事は教えてくれない。ケチ……。
物語の筋=マザーの動き方
- 同時型、遅延型、痕跡型、相似型、階層型など。
- これも詳細は明かされず。
物語の要素=文字通り
- ワールド・モデル(世界構造)、ストーリー(スクリプト、プロット)、シーン(場面)、キャラクター(登場人物)、ナレーター(語り手)の5つ。
- 特に「ナレーター」が物語の本質を理解するために重要。同じ物語を、「誰が、どのように」物語るのかによってその見え方が変わってくる。
……ここまで分解されちゃうと、自分が「ストーリーデザイン」の研究でやることがなくなっちゃうんだけど。それならもっと詳しく教えてくれてもいいんじゃない?
……うーん、何となく消化不良。トピックとしては面白いんだけど、テキストそのものがまだまとまりきっていない感触をうけた。ノートの方も散漫な印象に。
「<マザー>がある」「<マザー>は人類の深いところで共有され、<編集>の考え方に大きな影響を与えている」という理解でとりあえずは十分か。
最後の物語の分類のところはもっと突っ込んだ話が知りたかったんだけど、他の本読んだら書いてるのかな?
次回はその4で出てきた<エディトリアリティ>の話です。先行して読んでいるのですが、これがまた難しい……。
それでは
KnoN(100min)