ストーリーメーカー その0
こどもの日ですが、天気はイマイチスッキリしない感じです。少し肌寒い。
もう少し晴れていた方が出かけるにしてもいい具合かも知れません。
今回からは
ストーリーメーカー 創作のための物語論 (アスキー新書 84)(大塚栄志、2008)
をやっていきます。
最初は軽くウォーミングアップ、
はじめに 人は機械のように物語ることができる
から。
※『ストーリーメーカー』は最近別の出版社からも増補校正の上で出版されましたが、この連載では2008年のアスキー新書版の内容に準じます。
ストーリーメーカー 創作のための物語論 (アスキー新書 84)
- 作者: 大塚英志
- 出版社/メーカー: アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2008/10/09
- メディア: 新書
- 購入: 29人 クリック: 251回
- この商品を含むブログ (76件) を見る
はじめに 人は機械のように物語ることができる
物語を支える論理性
この本は著者自身が述べているように、「物語の文法」を身につけるためのテキストである。
ここでいう「物語の文法」とは、いいかえれば「物語」を「物語」たらしめる内的な論理性、「物語の構造」ということになる。
母語の文法と同じように、物語を「読む文法」に関しては私たちは成長する過程で自然に身につけている。私たちの日々の生活が「物語回路」ともいうべき情報の編集方法を活用して営まれていることは『知の編集工学』で学んだ通りだ。*1
しかし物語を「作る文法」になると、その割合はがくっと落ちてしまう。意識されていない以上、それを改めて教育するまで至らない、ということである。
姉妹編である『物語の体操』では、考える前に身体を動かす反復練習により「物語の文法」を体得することを目指していた。
対して本テキストではより理論的な背景に踏み込んだ上で、「物語の構造」のマニュアル・テンプレートに自身の持つ「ストーリーの種」を当てはめていくことで、文法に則った形式としてストーリーが出力されることを目指している。
→システマチックに考えていけば、「物語」は論理的に作れてしまう。
……『知の編集工学』で似たような話題があったとき*2にも述べたが、「文法」というよりも「作法/manner」といったほうがしっくりくる。美しく物語るための洗練された所作、というイメージ。
「神話製作機械」というイメージ
このような言説に、特にすでにストーリーを作っている人は反発を覚えるかもしれない。「物語る」ことの神秘性、あるいは作家の特殊技能としての「物語る」能力が脅かされてしまうと感じるからだろう。
しかし、単に「小説を書く」ということについていえば、すでにそれを機械で代行してしまおうという試みは早くからかなり具体的なものになってきている。
→七度文庫(なのたびぶんこ)=官能小説(文体や描写が限定的)を自動生成するプログラム。2002年公開。
またこのような特別なツールを使わなくとも、普段メールやチャットをする際に「自動予測変換」という機械のアシストを受けて私たちは文章(≒物語)を綴っている。
小説という表現において大きな位置を占める「文体」という部分について、すでに日常的に「コンピューターに委ねている」のである。
⇒文体に関していうならば、ノムリッシュ翻訳という翻訳プログラムもある。通常の文章をRPGのファイナルファンタジー・シリーズ(の後期)の世界観(?)を踏まえた独特の言い回しに"翻訳"する。*3
⇒翻訳の話をするならば、Google 翻訳やexcite翻訳による自動生成文も、独特の「文体」を持っていると一部で人気がある、らしい。
「物語には構造がある」という発想は著者独自のものではない。すでに『知の編集工学』の中で構造を規定する原型としての<マザー>の概念には触れており、そもそも学問としての「物語論」、神話や民話の構造分析にさかのぼることができる。
→物語の文法をアルゴリズムの一種として捉え直そうという動きとして、例えばウラジミール・プロップの『昔話の形態学』のなかで示された「文法」を次のようにフローチャート化したものがある。
図1:初出はMaranda, Pierre. 1985. "Semiography and Artificial Intelligence." International Semiotic Spectrum4:1-3、著者(大塚英志)がマリー=ロール・ライアン著『可能世界・人工知能・物語理論』より引用したものを再引用。
「書く」ことが自分を導く
ここですこし話は脇道にそれ、著者の「書く」ことに対する思想的な背景が明らかにされる。
……「神話製作機械」の夢は「書く」という行為に根拠づけられた近代的な「私」が本当にそこにあるのか、という問いかけとしてある、と僕は考えます。……
「近代的個人」や「固有性」、つまり「私」が「私であること」は、しかし、書き、発語することによってしか可能になりません。その可能性に付いて僕は極めて肯定的です。
(強調は筆者)
⇒自分の考えを書き記すこと、「自分を開く」ことが自分について考え、近代的自己を確立するための不可欠の手段である。
⇒「近代的自己」という言葉の取り扱いについて、松岡正剛とは食い違いが見られるが、目指している部分は同じである。
「自分とは何か」について考え、それを外部に向けて表現(説明)し、それを互いに交換し合って新たな自分を形成していく。
……機械化=技術化された物語論は「私語り」の最も有効なツールの一つであり、大抵の「私語り」がただ鬱陶しいだけなのは、「物語る技術」によって美的にも論理的にも支えられていないからです。
(強調は筆者)
最後、小難しい話に脱線したが、テキスト本文ではこのようなことは取り扱わない。あくまで「物語の文法を習得するためのマニュアル」である。
次回以降、「物語」づくりの基礎となる、あるいは応用可能だと考える5つの物語論に
ついて概観していく。
【今回の三行まとめ】
- 物語には文法(作法)がある。それは「物語」を「物語」たらしめる内的な論理性のことである。
- 物語の文法・構造を解体し、アルゴリズミックに生成させようという試みはかなり具体的なものとして存在している。
- 「書く」ことを通して私たちは「自分自身」について考えることができ、それを支えるツールとして物語論は有用である。
【今回の宿題】
- 特になし
……今回から新しいテキストです。
まず「はじめに」で前提となる考え方の紹介と少し思想的に踏み込んだことを、次回以降はより具体的な話になっていきます。
まさしく「実用書」であり、初見というワケでもないので読むだけなら簡単でしょうが、『知の編集工学』を読んだあとだとまた別の解釈(ものごとの「関係線」)が発見できるかもしれません。それも楽しみです。
それでは
KnoN(90min)