KnoNの学び部屋

大学に8年在籍した後無事に就職した会社員が何かやるところ。

ロラン・バルト(シリーズ現代思想ガイドブック) その3(前編)

久々にバルトです。

大塚英志のエッセイは、なんだか気分が乗らないので後回しです。

 

引き続き

ロラン・バルト (シリーズ 現代思想ガイドブック)

第三章 記号学

をやります。

 

ロラン・バルト (シリーズ 現代思想ガイドブック)

ロラン・バルト (シリーズ 現代思想ガイドブック)

 

 

第三章 記号学

 ソシュールの影響の元で受容された記号学構造主義は、一貫してバルトの思想に影響を与えている。この二つは重心の置き方の違いで本質的には同じものであるが、いずれも「神話」という発想をその前段としている。

 

現代の「神話」

 バルトの語る神話とは、「その語が指示するものがそれ自身を自然なもの、さらに時間を越えたものとして呈示するけれど、実際には歴史的な特有のイデオロギーに根を持つ世界観の表現」を含意している。

⇒見かけ上は自然的・普遍的なものであるかのようにふるまいながらも、そこには時間的・思想的に限定されてた特殊な事情による解釈が含まれている。

 

 バルトはフランスにおける「神話」の例として、ワインの意味について考えている。

 フランスにおいてワインは「滋養物」「精力の記号」「冬に身体を温めるもの」「夏に冷やりとリフレッシュされるもの」と見なされ、さらにはフランスのアイデンティティにも結びついていてる。「ワインを飲むことはフランスの一部になること」である。

 ここではワインの別の側面である「酩酊への欲望」や、「植民地で強制的に作らせている事実」などは無視されている。

 ワインを「自然的に良いものであり、フランスの象徴」であるかのように扱いながら、その解釈は都合がいいようになされた結果だと言うことである。

→「神話はワインのような純粋に文化的かつ歴史的な対象を取り上げて普遍的価値の記号に変形してしまう」

 

 重要なのは「神話の二面性」である。

 そこにあるそのものの意味と、それによって象徴・表現されている意味を同時に持っている。そして後者は「歴史的な特有のイデオロギー」に立脚した解釈によっており、まったく普遍的なものではないはずなのだ。

 

 このような国民文化を編成する無数の神話を考えるには、より洗練された意味作用のモデルが必要となる。

 フェルディナン・ド・ソシュールの言語理論はこの問題をよく説明するものとしてバルトに受け容れられた。

 

シーニュ(記号)の多層性

 ソシュールの言語理論において、言語は歴史的現象としてではなく「現在時に本質体としてあるシステム」として取り上げられている。

 言語をシステムとしての相対であるラング(言語)と個別的な活動であるパロール(口語)に区別し、「システムから発話(パロール)が発生する」と考えている。*1

→「ソシュールが夢見たのは、あらゆる人類の記号システムを体系的に解読できるような科学であった。記号学はそれゆえ言語記号システムよりもほかの記号の分析に言及するために頻繁に使用されている」

 

 ソシュール以後の構造主義において、「記号とはシニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の恣意的な関係の産物」であるとされる。

 

シニフィアン(signifiant)

=刺激として存在するもの、徴(しるし)。例えば「海」「sea」という文字、「umi」という音。

 

シニフィエ(signifie)

=刺激が表す概念、意味内容。例えば「海」というイメージ。

 

シーニュ(signe)

シニフィアンシニフィエが対になったもの、記号

(参考 シニフィアンとシニフィエ - Wikipedia

 

 言語については「徴と意味が結びつくことで記号となる」というように理解できる。

 しかしこれを神話に適用しようとすると、もう一段複雑な構造を持っていることに気づくだろう。

 

 テキストでは「フランス陸軍の制服を着て(おそらく三色旗=フランス国旗に)敬礼する若い黒人男性」という写真の例を挙げている。

 ここでは

シニフィアン=それぞれの画像(陸軍制服、敬礼という動作、黒人男性など)

シニフィエ =それぞれの単語が持つ意味内容

ということになる。

 

 しかしここで「国旗に敬礼する意味」を考えてみると、

シニフィアン=三色旗に敬礼するフランス陸軍の若い黒人男性

シニフィエ =フランスは偉大な帝国であり人種の区別無く忠誠を誓われている 

という二次的な記号構造が形成されることがわかる。

 

→神話はセカンド・オーダーの記号学的システムであり、ファースト・システムで記号であったもの(=徴と概念との連想的な全体)が、セカンド・システムでは単なる一つのシニフィアンになってしまう(=意味作用;signification)。

メタ言語としての神話

 

 ここでもまた「神話の二面性」が重要になってくる。

 先ほどの写真では、ファースト・システムとしてシニフィエとしてあるのは「個人を映した写真」でしかない。しかしここにセカンド・システムの意味作用を与えると「フランス帝国主義の正当化」というシニフィエが引き出せてしまう。

 そしてこれらの二つのシニフィエは同時に現出しているので、それを批判することが非常に難しくなってしまうのだ(写真家を後者の面で批判したとしても、すぐさま「いや、単に一人の兵士の様子を撮っただけだ」と逃げられてしまう)。

→バルトは神話のこういう作用を「ブルジョワ・イデオロギーの永続化と散種」に欠かせないものだと考えている。

 

 

……少し短いですが、時間の関係で今日はここまで。切りもいいしね。

 後編では『モードの体系』について扱います。

 実は「神話の意味作用」のところ、最初は別の例で書いていたんですが、それだと「ブルジョワ・イデオロギーの批判」に繋げられないので書き直しました。おかげでますます時間が厳しく……。

 

それでは

 

KnoN(80min)

 

神話作用

神話作用

 

 

 

*1:システム(構造)とそれによって出力される個別事象、という考え方は構造主義の中心である。

大塚英志の「物語の文法」論もこれの延長だと言えるだろう。