〈私〉をひらく社会学 その3
極力シンプルに。
不定期連載
〈私〉をひらく社会学 (大学生の学びをつくる)(豊泉周治ほか、2014)
の
第6章 「自分らしさ」の迷宮を抜ける
第7章 〈心〉を自己管理する時代
第9章 やりたいことがわからない
をやります。
第6章 「自分らしさ」の迷宮を抜ける
◯日本の若者が自尊感情が低い。
→調査結果から「子どもから若者になるにつれて低くなる」「近年その水準がいっそう低下している」ということが指摘できる。
→外国の日本人学校では現地校と同様の傾向が出ていることから、民族ではなく日本の学校教育の中にその原因があると考えられる。
→自尊心の低下は、大学生たちの自立意識の停滞と「身近で小さな幸せ」に留まろうとする意識の増加に関係がありそうだ。
◯ゼロ年代の思想・文芸的ムーブメントに「セカイ系」というものがある。
→これは大まかに「主人公とヒロインの二者関係を中心とした日常性の問題が、社会という具体的な中間項を挟まずに、世界の危機のような抽象的・非日常的な大問題と直結している」作品群のことを指す。*1
→「社会の不在」が現代の若者にはリアリティのあることとして受け入れられている。
◯「社会の不在」=「共感できる他者の不在」
→新自由主義における基本的な立場でもある。「社会は存在しない。そこにあるのはここの男性と女性と、家族だけ」。
→本書では「不在」ではなく「不可視」だと考える。
◯アイデンティティ≠自分らしさ
→現在、個性は「生来的な属性・内閉的なもの」と見なされている。
→(実際には自分の内面は自分では覗けない、あるいは個性は内在的なものではないので見つけることができず)他者からの強い承認を求めて友達関係に強く拘束されてしまう。
→「自分らしさの檻」に囚われる(by土井隆義)。
◯このような思春期の危機は、「若者の社会関係に必然的に起因する心理社会的危機」であり、そこによる心理社会的発達にこそ思春期・青年期の意義がある(byエリクソン)。
→自尊感情の成長が「社会集団の中の自分の位置づけへの確信」「一個の人間としての自分を他者が認めてくれるという確信」を生み出す。
◯青年期のアイデンティティの形成は、個人・社会双方に取っての「過去と未来の連結」である(byエリクソン)。
→個人においては、過去には育まれた自尊感情を「社会の中でのパーソナリティへと発展させつつあるという確信」に結びつける。そのために「社会的承認」が必要。
→社会(共同体)においては、新たな成員を加える中での相互の承認により、新たな活力を得て更新される。
→「こうして青年期は、個人の人格的な発達と社会の歴史的な変化との結節点となる」
◯しかし日本の青年期は大きな変容過程に入っている(戦後型青年期の解体)。
→従来は競争的な学校制度の下で、学生時代と社会人生活が一元的・安定的に結合していたが、企業側の経営スタイルの変化によりこれが成り立たなくなった。
◯かつての「正常な」青年期を遅れなくなった若者たち(「ノンエリート青年」)は、経済的・文化的に乏しい資源の中で、現場における「親密な他者」との関係を作り出すことで「なんとかやって」いっている。
→「孤立化すれば破綻しかねない厳しい現実」の綱渡り。
◯「なんとかやっていく世界」が若者の正統な心理社会的な発達の過程として承認され、これまでとは異なる移行期のアイデンティティ形成・成人期の自立への過程として社会的に保証されなければならない。
第7章 〈心〉を自己管理する時代
◯社会に「心理学ブーム」が起きている。
→その原因として「社会全体で精神的なストレスが増加している」だけでなく、「そうしたストレスへの対処に心理的手法を頼る傾向が強まっている」ことが考えられる、
→メンタルな問題を、(社会的な問題としてではなく)個人のメンタルな問題として解決しようとすることは果たして正しいのか?
◯カウンセリングが普及している。
→相談者の悩みの原因が社会的なことにあるにもかかわらず、心理的/個人に帰責される問題として扱われてしまう。
→ひたすら「自分の能力不足を反省する従順な主体」を生み出しかねない。
◯1991年改訂の指導要録以降、「関心・意欲・態度」といった内面を重視する成績評価になった。
→それを意識する生徒たちは、教師のまなざしを内面化して自己コントロールし、「先生からそう見えるように」振る舞わざるを得なくなる。
→生徒自身による自己コントロールを媒介にして、内面的な管理を強制することになってしまう。
◯感情の自己コントロールの一環として「ポジティブ・シンキング」が奨励されているが、これは「すべてのことをどう受け止めるかは個人の心がけ次第」ということを意味する。
→「うまくいかなかったこと/うまくいかなかったことを受け入れられないこと」が全て個人の責任に帰せられる。
→「社会の問題」すらも自己責任で対処しなければならない「個人の問題」だと思い込まされる。
→必要なのは無闇なポジティブではなくクリティカルな思考。
第9章 やりたいことがわからない
◯社会の近代化は伝統主義を解体し、個人が選択できる領域を増やして来たが、選択肢を選ぶための基準そのものが各人の選択に委ねられる(二重の選択)事態を招いている。
→社会からは「やるべきこと」が提示されず、どのような進路を選んでも(外的要因で実質的な選択肢がなかったとしても)「個人の選択の責任」とされる。
◯近代社会におけるライフコースは様々な「移行」の連なりである。
→それはあたかも一定の筋書きにそった物語であるかのように説明され、むしろそういうやり方でなければ当人でさえも自分の生き方を整理できない(=文化要素としての物語)。
→「やりたいことがわからない」のは、このような「物語」の生成に失敗していることを意味している可能性がある。
◯日本のメンバーシップ型の雇用では、「特定の何かに卓越している」ことよりも「必要があればなんでもできる・フレキシブルに対応できる」ことが重視される。
→企業が求めるものに併せて、積み上げてきた自分の「物語」を書き換える必要にかられる。
◯現代における流動性の増加は人間関係にもおよび、それは常に見直される「選択的なもの」として扱われるようになっている
→脆く壊れやすい「純粋な関係性」が支配的になる。
→これは常に「自分が取り替えられる」リスクを含んでいる。
→これを踏まえた「新しい関係性」の可能性が模索されている。
【今回の三行まとめ】
- ティーンエイジにおける自尊感情の低さが社会の中での自分の位置づけ(アイデンティティ)の確立を不十分なものにさせ、共同体の活力をも奪っている。青年期の多様性への保障を充分なものにしなければならない。
- 社会的な問題への対処すら、個人の内面の問題として心理学的なアプローチで行われやすくなっている。その規律を内面化させる構造そのものに批判的な思考を向ける必要がある。
- 「選択の基準」すら選択の対象となり、その責任は個人に帰せられる。自分の人生を一定の「物語」にのせて整理できなければ、選択の基準を確立することができずに「やりたいことがわからない」状況に陥る。
【今回の宿題】
- 全体的に要約し過ぎ
……省力中なのであとがきもなしということで。
明日記事が載せられるかどうかは未定です。
それでは
KnoN(--min)