KnoNの学び部屋

大学に8年在籍した後無事に就職した会社員が何かやるところ。

現代思想の教科書 その3

まさかの2本立て。

 

引き続き

現代思想の教科書 (ちくま学芸文庫)石田英敬、2010)

3 記号とイメージの時代 ーパースと現代記号論

をやります。

 

現代思想の教科書 (ちくま学芸文庫)

現代思想の教科書 (ちくま学芸文庫)

 

 

3 記号とイメージの時代 ーパースと現代記号論

 20世紀に人間の文明に起こった大きな変化の一つに、メディアの環境の変化(=「メディアの革命」)がある。

⇒「グーテンベルク」時代の文字メディアが支配的な状況から、様々なメディアが利用される時代に。

 

 前章においてはソシュールの「言語記号」から始まる記号学を考えた。これは記号としては形式性が高い*1種類のものである。しかし記号とはこのような言語記号ばかりではない。

 

 形式的に法則化されないような、しかしそこに確実に意味作用が存在するもの(=自然記号)をどう理解していけばいいのか。

 本章ではチャールズ・サンダース・パースの仕事から「もう一つの記号論」を考える。

 

 

パースの記号論

 パースはソシュールと同時代(19世紀後半〜20世紀)の人物であるが、彼らは独立に「記号」に関する一般学を提唱した。

 言語をモデルとするソシュールの記号理論に対し、パースの提唱するそれは、人間や生物、動物、あるいは宇宙の様々な現象全体を記号のプロセスとして捉えようとする非常に普遍的な記号論(=記号論)である。

→「宇宙は、記号から記号へと現象が次々に送られる無限のプロセスから成り立っている」

 

 人間が使っている言葉や記号こそ人間自身である。なぜなら、全ての思考は記号であるということが、生は一連の思考であるということと一緒になって、人間は記号であるということを証明するように、すべての思考は外的な記号であるということは、人間は外的な記号であるということを証明するからである。

 つまり人間と外的な記号とはhomoとmanという言葉が同一であるというのと同じ意味において、同一である。

 こういう訳で、私の言語は私自身の総体である。というのは人間は思考であるから。

(改行は筆者)

(パース『記号学 (パース著作集)』、p191)

 

 この考えの下では、人間の活動とは記号に基づいた知覚や認知や推論の連続的なプロセスのことであるといえる。

→記号から記号へとたえず解釈するという活動を行っているプロセスとして、人間を含む生物一般を捉えることが可能になる。

→このプロセスのことをパースは「セミオーシス(Smiosis;記号過程)」と呼んだ。

 

 パースの思想の背景には、西欧の哲学的伝統の中で受け継がれている「記号代替説」という発想がある。

→記号とは何かの代わりをしているものである。

→例えば「木」という言語記号は、実物としての「木」の代替物として扱われている。

 

 パースはこれにもう一歩踏み込み、「記号に基づいて人間が推論を連ねていくことによって、さらに人間は自分の心の中に様々な記号を作り出している」と考えた。

→「記号はさらに別の記号と結びつくことによって様々に解釈されていく。そのように次々と記号を繰り出し、意味を作り出している活動こそが解釈である」

 

 記号(sign)あるいは表意体(representamen)とは、ある人にとって、ある観点もしくはある能力のいて何らかの代わりをするものである。

 記号は誰かに話しかける、つまりその人の心の中に、等値な記号、あるいはさらに発展した記号を作り出す。

(改行は筆者)

(同、p2)

 

 

対象と記号の無数の繋がり、解釈の連鎖

 パースの記号過程は次のような図式によって表現できる。

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図1:パースの記号の三項図式

 

 人が「対象 object」を認知するのは「記号 sign」を通じてであるが、その「記号」はそれを解釈するもうひとつ別の記号作用の項としての「解釈項 interpretant」を通してしか意味を持たない。

→人間の精神が行っていることは「記号による記号の解釈のプロセス(=解釈作用)」であって、そこにはもうひとつの記号から別の記号へという記号の解釈の連鎖がつねに介在している。

→さらにそのプロセスにおいて、解釈項は第二の記号の表意体となり、「無限の解釈項の連続」を作り出す。

 あるいは、「対象」はつねに記号のプロセスの中においてでしか存在しない、といえる。*2

 

デリダはこの「シニフィアンシニフィエの無限の連鎖」に対し、「その基準となるような超越論的シニフィエは存在しない」と考えた。

 彼はここに記号論の限界を見ている。

(→ ロラン・バルト(シリーズ現代思想ガイドブック) その5 - KnoNの学び部屋

 

 パースは「一次性・二次性・三次性」という、存在についての独自のカテゴリー論をベースに、あらゆる種類の記号を対象に、非常に複雑な記号の分類を行った。

 ここではその中から「対象」と「記号」との関係に基づく3つの分類を紹介する。

  • アイコン(icon;類像記号)
    →対象の性質を取り込んだ記号。両者は類似性(similarity)の関係で結ばれている。
    →似顔絵、写真

  • インデックス(index;指標記号)
    →対象と事実において結びつき、実際に対象から影響を受けることによって成立する記号。両者は指示作用(indication)の関係で結ばれている。
    →獣の足跡、発熱で紅潮した顔

  • シンボル(symbol;象徴記号)
    →対象との繋がりが取り決めや法則の基づいて成立している記号。両者は恣意的な関係で結ばれている。
    →対象と音素

 

普遍記号論の夢

 先述したように、パースは宇宙の全ての現象を記号のプロセスとしてモデル化して捉えようと考えている。この発想は西洋形而上学の歴史の中では「普遍記号論」という思想的系譜に連なるものだ。

→「宇宙を満たす全ての事象の知識を整理し、記号を使って記述し、人間の精神の働きを記号の操作としてモデル化、そしてそれを人工言語によって体系的に記述する」という構想。

→パースの記号の解釈を、例えば計算という概念に置き換えて考えてみると、人間の意味解釈のプロセスを「数式による計算」という人工言語としてモデル化して理解することが出来るようになる。

 

 現象全てを記号として説明するパースの記号論は、生命現象の理解にも適応しうる。

 ジェスパー・ホフマイヤーによって提唱されている「生命記号論(Biosemiotics)」である。

→生命を生み出してきた宇宙のプロセス全体を記号過程と捉え、生物たちのみならず細胞や組織までがメッセージをやりとりする「記号圏」として生命の世界を記述しようとする試み。

→このアイデアの元では、生命にとって物質は記号を生み出し伝達し記憶するための媒質(メディア)となる。

 

⇒「生物は情報(記号)伝達のための器である」という考えは『知の編集工学』の中にも出てきた。

(→ 知の編集工学 その2(後編) - KnoNの学び部屋

 「意味を持つためには「生きるという目的」が必要である」というアイデアも『哲学入門』で指摘されている。

(→ 哲学入門 その1(前編) - KnoNの学び部屋

 

 

【今回の三行まとめ】

  • ソシュールが記号のモデルとした言語は形式性が高いものだった。パースの提唱した汎記号論は、より一般的な自然記号を扱い、宇宙の様々な現象全体を記号のプロセスとして捉えようとする試みである。
  • パースの記号論において、人間の活動とは「記号を介した対象の解釈の連続的なプロセス(=セミオーシス)」のことである。記号に基づいた推論が、更なる記号を心中に作り出すことが解釈の本質とされる。
  • 記号論は普遍記号論と呼ばれる思想的系譜に連なるものであり、すべての事象を記号のプロセスとしてモデル化することを目指している。ホフマイヤーはそれを生物学にあてはめ「生命記号論」を提唱した。

 

【今回の宿題】

  • 「無限の連鎖」における中心性・超越性の問題

 

……ソシュールに比べ「自然記号を重視する」「全ての現象を記号のプロセスとして考える」という点で自分の考えていることに近い気がする。ただこの説明の中では自然記号を具体的にどう扱っていくのか踏み込めていないので、原著の方も気になるところ。

 「超越的シニフィアンの不在」についてはすでに『ロラン・バルト』の中で議論した。パースはどのように考えているのだろうか?

 全ての現象を記号のプロセスとして考える、のは良いとしても、それが生命の発生的なところにまで絡んでくるとなんとなく胡散臭く感じてしまう。まだ充分に理解しきれていないのかもしれない。『バルト』だけでなく『編集工学』や『哲学入門』も見直したい。

 これからも余裕がある限り2本立てでやっていくつもりです。巻き巻きで。

 

それでは

 

KnoN(120min)

 

記号学 (パース著作集)

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パースの記号学

パースの記号学

 

 

生命記号論―宇宙の意味と表象

生命記号論―宇宙の意味と表象

 

 

 

*1:記号が自身の形式的な特性に基づく法則に厳密にしたがっている。

*2:知の編集工学』の記事では、自分が「コンテクスト」という言葉でこの状況を捉えている、とすでに述べている。