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KnoNの学び部屋

落ち着きのない大学院生が専攻に関係ない(むしろそっちのけで)学んだコトを記録しておく場所

現代思想の教科書 その9

雲は晴れたが風が強い。 

 

引き続き

現代思想の教科書 (ちくま学芸文庫)石田英敬、2010)

9 情報とメディアの思想 ー「メディアはメッセージ」ー

をやります。

 

現代思想の教科書 (ちくま学芸文庫)

現代思想の教科書 (ちくま学芸文庫)

 

9 情報とメディアの思想 ー「メディアはメッセージ」ー

メディアとは何か

 「メディア」とはそもそも何か。

→メディアとは情報伝達を成立させる技術、あるいはそうした技術に基づいて生み出された媒体自体を指す。

→そういった概念が成立するためには、具体化している「メディア」が〈情報〉とその〈媒質〉に還元され、一般化される必要があった。

→ポスト・グーテンベルク状況において、活字メディアが支配的な地位から退き、複数の媒体の総称として「メディア」という概念が認められるようになった。

 

 もうすこし厳密な定義を考えてみる。

 物質としての紙の集合が、「本」というメディアになるのはいつか。

→「物質としての紙が、文字や図像やイメージといった記号が書き込まれるべき表面と化す、ということがあって初めてメディアが成立する」といえる。

=紙が、メッセージが記入され意味を読み取ることが出来る環境となる。

   メディア = 物質 + 記号 

 

 

メディア技術は何を可能にしたか

 現代社会におけるメディアの意義を考える。

→マルチメディアの時代はいかにして成立し、私たちの文明・社会の成立条件はどの世に変化したのか。

 

 まず問題となるのは「技術」の側面である。

→マーシャル・マクルーハンは「メディアとは身体拡張である」という定式を行った。

身体拡張説

=技術というものは人間の身体の活動の延長であると考えられる。メディアはその中でも、人間の記号活動を行う感覚器官としての身体の延長であると位置づけられる、という考え方。

  • テレビ→〈視る〉〈聴く〉
  • 電話→〈聴く〉〈話す〉

 

 「身体拡張説」とあわせてマクルーハンは「感覚比率」論というものも考えた。

感覚比率(ratio sensorium)

=人間は五感などを通じて経験を構成し世界の意味づけを行っているが、どのようなメディアから人間が自分の記号活動を拡張するかに応じて、拡張される感覚経験の配分が異なってくる。

  • 例えば口伝による口承メディアが発達した文化においては聴覚に重きが置かれ、活版印刷技術が可能にした黙読の文化においては視覚に重点が置かれる。

 →メディア技術の変化は、メディアが延長する感覚の間の比率を変化させ、それに従って発達する文明のあり方も変わってくる。

 

 ここでさらにコンピュータ技術の存在を念頭におくと、メディアを「脳の拡張」として捉えることが可能になる。

→メディアが記号操作という脳の活動を「外在化」させている。

 

 

未来の文化圏

 マクルーハンは主著『グーテンベルクの銀河系』の中で、人間の歴史を3段階に分類している。*1

  • 声の文化圏:口伝や写本などのコミュニケーションに基づく文化圏
  • 活字の文化圏(=グーテンベルクの銀河系)
    活版印刷技術によって成立した書物に基づく文化圏
  • 電子メディアの文化圏:これから到来すると予想される、マルチメディア(とそれを統一的に扱う電子的技術)に基づく文化圏

 

 マルチメディア時代の到来を告げたマクルーハンの定式に「メディアはメッセージ」というものがある。

→メディアはメッセージを運ぶニュートラルな乗り物であるのではなく、むしろメディアこそメッセージのあり方を変化・決定する力を持っている

⇒メタ・メッセージとしてのメディア?

 

 メディアの変化に伴って、人と人との結びつき、人と技術との結びつき、さらには社会の在り方、文化の在り方全般も変わりうるということを述べた標語だったのです。

 この観点から、『グーテンベルクの銀河系』では、活字メディアが生み出した「活字人間」による近代がもうすぐ終演するだろう、テレビに見られるような電子メディア圏の到来によって、人類の文化に大きな転換が用意されているという文明診断が述べられたのです。

 

 またメディアの変化が社会のあり方を変えるだろうという見通しに基づき、マクルーハンは「グローバル・ヴィレッジ」という構想も唱えた。

「グローバル・ヴィレッジ」というのは、活字メディアの時代が作り出した視覚優位の文化に対して、電子メディアは口承的なもの、人間の聴覚に基づくような身体的な感覚を復活させて、人間の活字文化が抑圧していた五感の比率を回復させ、個人の中に閉じ込められていた人間相互の連帯の絆を取り戻させることが出来るのではないかという楽観的な見方です。

 

 しかしこの構想は楽観主義が過ぎる。

→世界がグローバルに組み込まれるほどに、文化とか民族のアイデンティティを守ろうとする動きが出てくる。

→メディア技術の発展が世界を繋がりやすくしても、理解しあえるということには繋がらない。

 

 

【今回の三行まとめ】 

  • メディアとはメッセージを伝達するものである。なんらかの物質が「記号を媒介する環境」となったときにメディアとして成立する。
  • メディアを含む技術は「身体感覚の拡張」として捉えることが出来る。究極的には記号操作という観点から「脳の活動の外在化」をもたらしているものだと言える。
  • 活字の文化圏から新たなマルチメディア時代の文化圏へ移行する時代を迎えているにあたり、メディアが結ぶものについて楽観的になりすぎずに考えなければ行けない。

 

【今回の宿題】

  • 特になし

 

……個人的にはあまり突っ込むところもなく。

 というか(前にも言ったかもしれないけど)「現代思想を概観する」というテキストの性質のせいか、個別のトピックに対する掘り下げが物足りない。議論も飛び飛びになってて、感覚的に分かっていたことを論証する「なるほど」という納得がない。

 あっさり流して次のテキストに進んだ方がいいのかもね。

 

それでは

 

KnoN(60min)

メディア論―人間の拡張の諸相

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グーテンベルク銀河系の終焉―新しいコミュニケーションのすがた (叢書・ウニベルシタス)

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*1:このあたりについては次の記事も参照のこと。

知の編集工学 その3(後編) - KnoNの学び部屋