KnoNの学び部屋

大学に8年在籍した後無事に就職した会社員が何かやるところ。

現代思想の教科書 その12

生活リズムが乱れておるぞ。

珍しく夜中に更新。

 

引き続き

現代思想の教科書 (ちくま学芸文庫)石田英敬、2010)

12 「宗教について」 ー宗教の回帰を問うー

をやります。

 

現代思想の教科書 (ちくま学芸文庫)

現代思想の教科書 (ちくま学芸文庫)

 

 

12 「宗教について」 ー宗教の回帰を問うー

 前回に引き続き西谷修を講師としながら、「宗教の回帰」について考える。

 

回帰する宗教

 1980年代からしばしば「宗教の回帰」というものが語られてきた。それには大きく二つの側面が含まれている。

  • 政治的なものとしての回帰→イスラム、キリスト右派などの原理主義
  • 心の拠り所としての回帰→「癒し」ブーム、スピリチュアル

 

 前者の大きなきっかけとなったのが1979年にイランで起こったイスラム革命である。親米・世俗・近代化志向だったパフレヴィー王朝に対し、ホメイニ師を中心とするシーア派勢力が反旗を翻し、イスラム教を原理とする新しい国家体制に移行した。

→ヨーロッパにおいて「近代化」といえば宗教(=キリスト教)の不合理な因習から人間を解き放つものだと考えられていた。

 それだけに近代化の途上にあった国で宗教を原理とする民主主義革命が起こったことは、西洋的世界に大きな影響を与えたのだった。

 

 革命の背景としては、当時のイランにおける「上からの近代化」が指摘できる。

→イランは石油産出国でもあり、その近代化は西側先進国の政治的意図に結びいたものであった。強権的に行われる近代化によって人々の伝統的な生活基盤は破壊され、あらたな産業主義的な社会の中に彼らの生活がうまく組み込まれていかなかった。

経済的な困窮精神的な居場所の喪失が起こり、その中での心の拠り所として伝統的なイスラム教が支持を集め、革命に繋がった。

 

 この革命はイラン一国に留まらず、周囲のアラブ・イスラム諸国にも影響を与えた。

→西洋に押さえつけられていた人々が、自分たちのポジティブな自己発現としてイスラム教を位置づけられるようになった。

 

 この動きはイスラムのみならず、キリスト教文化圏である西側諸国、とくにアメリカに置いても広がっている。

→世俗的なアメリカ合衆国という国の中にあるキリスト教的な宗教儀礼*1がにわかに注目を集めるようになったり、政治的問題に対し聖書の教えから態度決定を行う政治集団(キリスト教右派)が勢力を強めたりなど。

 

 近代というのは、宗教から離脱していくものだと従来は考えられてきたが、現実には「宗教への回帰」が起こってきているのである。

 

 

政治と宗教の交錯

 二度の世界大戦をへて、近代世界を切り開いた西洋においても「文明への懐疑」というものが起こるようになった。

→合理主義の代表的な理論家と言われるマックス・ウェーバーはすでに20世紀初頭の段階で、近代合理主義について「脱魔術化」は世界をつまらなくする、というようにも述べている。

 

 また「法と国家」の領域においても「主権国家ー議会ー合理的な法体系」という近代的な考え方があったが、カール・シュミットはそこに含まれる神学的な根底を指摘した。

近代における〈政治的なもの〉と〈宗教的なもの〉の交錯は否定し難いものとして浮かび上がってきてしまっている。

 

 例えばナショナリズムについて、そこに宗教における「供儀の論理」が働いていることが指摘されている。

 ベネディクト・アンダーソンという、ナショナリズム論に関しては定評のある理論家がいますが、その著作の中で、彼自身もあまり深く追求していないけれども、ナショナリズムは他のあらゆるイデオロギーより強いということを指摘しています。

 なぜかというと、ナショナリズムは他のイデオロギーと違って、人がそこに命を預けるからくりを持っているから、というわけです。

 ……ナショナリズムがそういうものを抱えているとすると、まさしく世俗国家、宗教によらない世俗社会の政治組織として考えられた「国民国家」そのものの成り立ちに、宗教的なものを包含しているということです。

(改行・強調は筆者)

 

 宗教と政治、その結節点を考える時に「」という問題は避けては通れない。

→人間個体の有限性に対し、ともに存在の永続性を想定されている。個人としての限界を共同性幻想に捧げることで自らの存在を永続的なものとするという価値がある。

 

 一方で現代社会においては「死の排除」と呼べるような事態が進行している。医療の発展のみならず、技術全般の発展により得られた「万能幻想」が、人間の有限性から目を背けさせる捩じれた問題を生み出している。

 

 

内面と自由

 「宗教(religion)」という概念が成立するためには、具体的な宗派を「複数の中のひとつ」として認識し、総体としての抽象的な概念の存在を確認するようがある。

宗教改革(Reformation)によって「複数キリスト教」が無視できない存在となったときに、「宗教」という概念が実感をもって生まれた。

 

 宗教改革は信仰というものの質自体の転換(「所与の制度」から「内面の義」へ)をもたらした。

  • before:信仰は教会から与えられるものであり、生まれた時から決まっている。
  • after:信仰は内面における「義」を獲得することによって成り立ち、個人が自覚的に選び取る(→信教の自由)。

→このような「信仰の内面化」が社会規範における「公共」と「内心」を生み、政教分離の原則を生み出した。

→「政教分離」は宗教改革を経た西洋キリスト教社会に特有のもの。

イスラム社会ではこの分離が起こらなかったため、宗教規範がそのまま社会規範として機能している。しかしそれは「古い」「新しい」という問題ではない。

 

 現在進行している「世界の近代化」は、同時に社会の「脱宗教化(世俗化)」を求めている。

→しかしそれ自体がキリスト教の伝統からきた要請であり、限定的な成立条件を必要とするものだということに注意してその是非を考え直さなければならない。

 

 

【今回の三行まとめ】

  • 従来、近代化した社会は「脱宗教化」するものだと考えられてきた。しかし現代では政治的な統合原理として、あるいは精神的な拠り所として宗教が社会の中に復権してきている。
  • 西洋の近代化においても、宗教的な問題は分ち難く存在していた。ナショナリズムによる国民統合は、宗教と同じく「供儀の原理」によって成立してる。
  • 社会における「公共」と「内心」の分離は、キリスト教宗教改革という背景のもとに成立した。政教分離は必ずしも普遍的な原則ではないことに注意する必要がある。

 

【今回の宿題】

  • 特になし

 

……久々に納得のいく記事が書けた。やはり腰を据え、じっくりと何度も読み直しながら書くと理解も深まる。おかげでこんな時間になっちゃったけど。

 となるとやはり一日一本ペースが良いのだけど、どうしようかなー。また明日考えますか。

 

それでは

 

KnoN(120min)

 

宗教の解体学 (宗教への問い 1)

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定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)

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*1:大統領就任式において聖書に手を置き宣誓する、など