読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

KnoNの学び部屋

落ち着きのない大学院生が専攻に関係ない(むしろそっちのけで)学んだコトを記録しておく場所

現代思想の教科書 その14

二本目。

 

引き続き

現代思想の教科書 (ちくま学芸文庫)石田英敬、2010)

14 差異と同一性の共生原理 ージェンダー、マイノリティ、クレオールマルチチュード

をやります。

 

現代思想の教科書 (ちくま学芸文庫)

現代思想の教科書 (ちくま学芸文庫)

 

 

14 差異と同一性の共生原理 ージェンダー、マイノリティ、クレオールマルチチュード

 本章では、現代思想の様々な理論が「差異」をどのように捉えてきたか、現代思想の思想的パラダイムによってどのような新しい「共生の原理」が可能になったか、について具体的な成果を考える。

 

 ここまで第1章から第10章まで現代の世界が成立する仕組みを考えた「原理論」、第11章から第13章まではより具体的にどのような問題に面しているかという「状況論」に属するテーマを扱ってきた。

 以上を踏まえ「実践論(=プラクシス;praxis)」の問いを扱う。

 

 

プラクシスの問い

 まず「実践論」について。

 マルクスの有名な言葉に「哲学者たちは世界を解釈してきた。だが肝心なのはそれを変革することだ*1」というものがある。

→「実践的問題」とは、人がどのようして世界に関わる「実践的主体」になるのかということを考える時に提起される問いのことである。

 

 ただし、この言葉は単に「理屈だけではダメ」というレベルの話ではない。

→物事の「原理」を考えることで、どのような「実践」が可能になるか、思想によって生まれた新しいものの見方がどのような「実践」に繋がっていくか、というレベルで考えるべき。

 

 ここでは「ジェンダーとマイノリティ」を題材にいくつかの実践的な問題を考える。議論に先んじて用語の整理を行う。

ジェンダー(gender)

=先天的・身体的・生物学的な性別(sex)に対する文化的・社会的な性別

⇒この定義自体に議論の余地もある。

参照 〈私〉をひらく社会学 その1 - KnoNの学び部屋

マイノリティ(minority)

=社会における、より少ない、より少数である集団。「より多数」であるマジョリティ(majority)と比較する文脈で用いられる。

→単に数の大小だけではなく「多数派=主流、主要」「少数派=傍流、従属」という価値の問題をはらんででいる。

 クレオール(creole)

=「宗主国生まれ」に対する「植民地生まれ」、あるいは言語混合によって生まれた新しい言語。

エドゥアール・グリッサンにより、文化そのもののハイブリット化を示すキーワードに。

マルチチュード(multitude)

=均質でない多種多様な人々を集合としてさすための言葉。もとはスピノザに由来するが、アントニオ・ネグリマイケル・ハートによって新たに定義された。

→かつての「民衆」や「プロレタリアート」という概念に対し、その背景の多様性・混成性を強調しており、現代の「帝国」に対抗するデモクラシーの担い手となりうると考えれている。

 

→これら四つのキーワードから21世紀における「共生の原理」を模索する。

 

現代思想はいかに世界を変革したか?

 現代思想はいかにして世界の変革を可能にしたのか。五つの論点から説明する。

 

1. 差異の思想

 ソシュールは「言語には差異しかない」と述べ、言語記号は相互の区別から成り立つ「差異のシステム」だと考えた。

 また記号論の発展は、人間の精神の活動そのものが差異の原理に基づく記号の働きによって担われているものであって、意識・観念・精神というものがそれに先立って人間の意味世界や心的経験を決定している訳ではないということを明らかにした。

→精神・観念・意識の実体性と同一性の否定。

 

2. 文化の恣意性

 ソシュールが行った観念論の転倒を受け、人間の文化も言語のように構造化されているという「構造主義」が発展した。

→自他の文化の意味世界の間には構造的な「違い」があり、それを介してしか私は他者の文化の意味世界に接近できない。

 

 このとき、同一の基準を別の文化にあてがうことの支配性・政治性といった問題が浮上してくることになる。

 同一の価値基準(具体的には西洋的文明観=マジョリティ)を他の文化の価値体系(マイノリティ)に押しつけることによって他者を説明することは、相手の文化を支配する関係をつくることに他ならない。

エスノセントリズム(自民族中心主義)から文化相対主義

 

3. 「自然」と「文化」の区別

 フロイトはかつては生物学的な問題であると考えられていた「欲望」の問題系について、言語やイメージといった象徴の次元が大きな役割を果たしているということを明らかにした。

精神分析という領域の、生物学的決定論から文化的な人間理解へパラダイム・シフト

 

 フロイトの理論には男性中心的な原理が根底にあるという批判もあったが、ラカンら第二世代の構造的な精神分析は、人間の「欲望」をシニフィアン=意味」の問題であると捉え、人間の「性」と「自然」を区別して考える立場を確立させた。

精神分析の理論を「脱構築」することによって、性差を人間の社会・文化が制度化したものだとする見方が成立した

 

4. 同一性から構築性へ

 フーコーは人々が自明だと思っているような様々な歴史的・社会的な実践(例えば医療制度、監獄制度、性規範など)が、その時々の事情によって「構築」されたものだとしてその歴史的形成を研究した。

ジェンダーナショナリズムなど、超歴史的な同一性だと見なしてきた人間事象への懐疑

 

5. 複数性の論理

 ドゥルーズガタリは『千のプラトー』という著作の中で「人間の語る言語・生きている文化・性・歴史というものはひとつの原理によっと成り立っているものではない。一人の話し手であっても様々な言語・文化・性・歴史によぎられて生きている」と主張している。

 ポスト構造主義の思想家たちは、人間の生活を「複数性」の実践論理によって説明し、世界を変えていく可能性を示した。

→男性中心的なフロイト精神分析、単一のシステムを仮定した「ラングとパロール」の言語学なども、それを換骨奪胎することによって「性的マイノリティ」「マルチ・凛がリズム」といった文化理解を生み出した。

 

 

「もうひとつの世界」を求めて

 現代思想は、近代を牽引してきた西洋中心の「同一性の原理」から複数性を前提とした「差異の原理」にその発想を転換・拡張してきた。

→差異のロジックをよく理解した上で、そこから新しい共生の原理を導きだすことによって新しい社会の生き方は可能になる。

 

 ヤコブソンの二項主義の考え方を押し進めると、最終的には「0(ない)/1(ある)」という純粋な差異のシステムに還元される。

 一方で文化の記号ロジックにおいては「無徴/有徴」の区別となる。

→ただしこれは「無徴=普通=マジョリティ」「有徴=特殊=マイノリティ」という価値判断・主従の問題を含んでいる。

→この違いに自覚的になることが、記号と文化の論理を捉えることにつながる。

=記号の「差異の原理」から文化の「支配の原理」が作り出されているという、「象徴支配」の原理の存在

 

 ここで「クレオール」という概念に着目することで、様々な差異を水平に働かせることが出来るポリフォニック(多層的)な文化的共生の手がかりが得られる。

 異言語間の意思疎通のために自然に作られた混成語のことを「ピジン言語(Pidgin)」と呼び、それが次の世代において母語として話されるようになると「クレオール言語」と呼ばれるようになる。

→グリッサンは、フランスの植民地支配と奴隷貿易の中から生まれたクレオール言語が、お互いに言葉が通じない「差異しか存在しない」初期状態から成立し、その言語を用いて自分たちそれぞれの失われた文化の記憶を共有していく点に「文化のポリフォニー」を見出した。

 

 現代におけるグローバル化は、そのような文化の共生・歴史の共存へと向かう前提がないところで進行してしまっている。

 グローバル化には「経済・情報のグローバル化」と「世界秩序のグローバル化」という二つの側面がある。

→ネグリとハートが言う、新しい主権のシステムとしての「帝国」の出現

 

 この単一の世界支配の原理に対抗する「もうひとつの世界」を求める動きを、現代思想がもたらした新たな視座が可能にした。

→マイノリティの原理、文化の恣意性や歴史の構築性の認識、複数性の原理

→このような動きを担う政治的主体の在り方として、多様性を前提とした「マルチチュード」の概念が提示されている。

 

 

【今回の三行まとめ】

  • 思想の実践論として、「その思想がどのような新しい実践を生み出したか、可能にしたか」という問いを考える必要がある。
  • 現代思想は「差異の原理」「複数性の論理」から、近代の「同一性の原理」を乗り越え、世界を変革するものの見方を生み出した。
  • 現代においては「世界秩序のグローバル化」により、同一性による世界支配を行う「帝国」が生まれている。それに対抗するアンチテーゼとして「差異・複数性の原理」とその主体としての「マルチチュード」が求められている。

 

【今回の宿題】

  • クレオール言語成立過程における「差異しか存在しない状態」の詳細
  • 新しい「帝国」について

 

……なるほど、こういうふうにまとまっていくのか、と目から鱗。

 今読み返せば「よーわからん」と言っていた中盤辺りまでの内容も噛み砕いて理解できそう。

 複数性を認めることの重要性は理解できたが、同時に人間は「自分が理解できることしか理解しない」のだから、同一性の原理に引き寄せられてしまうのはどうしようもないという感覚もある。言うはや易く、行うは難し。

 自分の(初期の)テーマである「わかりあう」ということも、究極的に還元される「同一」なものがあることを前提としているように思われる。多様性の現代の中でこのアイデアはどこまで有効なのだろうか。

 

それでは

 

KnoN(120min)

 

差異の政治学

差異の政治学

 

 

クレオールとは何か (平凡社ライブラリー (507))

クレオールとは何か (平凡社ライブラリー (507))

 

 

*1:フォイエルバッハについてのテーゼ」より