現代日本のコミュニケーション研究 その3
残暑どこ行った。
もはや肌寒さすら感じる日中です。
引き続き
現代日本のコミュニケーション研究(日本コミュニケーション学会、2011)
の
第Ⅲ部 異文化コミュニケーション
をやります。
第1章 異文化コミュニケーション研究の歴史
「異文化コミュニケーション(interculutural communication)」という言葉は、エドワード・T・ホールの『沈黙のことば』(1959)が初出だと考えられている。
ホールを起点とする異文化コミュニケーションの研究は次の3期に分けられる。
- 創成期:戦後~1970年代
=異文化コミュニケーションが研究領域として大学で制度化される時期。具体的な教育実践としての出自、ミクロな視点、文化相対主義。
→文化ごとのコミュニケーションの傾向を明らかに、その違いを尊重する。 - 実証主義的研究の展開期:1980~1990年代
=論理実証主義的傾向の加速。個々の文化の知見を統合した普遍的な理論化の推進(不確実性管理理論、面子交渉理論、異文化適応論)、「独立変数:文化→従属変数:コミュニケーション」という発想、「個人」のデータを統計処理して「文化」を浮かび上がらせる手法。
→異文化コミュニケーション研究の心理学化 - 批判的展開期:1990年代~現在
=新しい異文化コミュニケーション研究のあり方の模索・提案。2つの意味での「権力」への批判、創造的な側面の強調。
第2章 コミュニケーションと文化
「コミュニケーション」と「文化」は、共に定義が多様で確定していくことが難しいという点で共通している。それには
- 定義の政治性=「〜である」という言説には「〜であるべきである」という価値判断(包摂と排除の論理)が含まれている。
- 実践から生まれた言葉=それを用いる人々の文脈に依拠している。
などの理由がある。
「コミュニケーション」と「文化」の関係をどう捉えるかには、大きく分けて次の2つの視点がある。
- 相互に影響を与える関係である
=文化はコミュニケーションの方法や内容に影響を与え、コミュニケーションは文化の創造や維持、改変過程に影響を与える。
→しかし実際にはどちらか一方向の影響過程が強調されることが多い。文化的背景論*1、コミュニケーションに対する文化の外部化。 - 重なり合った関係である
=文化なるものは、語られ了解されることで初めて存在や意味、リアリティを持つ。
→「コミュニケーション」と「文化」という言葉がどのような思惑の込められた文脈において用いられ、それにどのようなことがなされようとしているのかを考察することが必要。
第3章 アイデンティティ
異文化コミュニケーションの中では、他者と相対する自分=アイデンティティの概念が不可欠となるが、その捉え方もそれぞれの研究アプローチによって異なっている。
- 機能主義的アプローチ:文化→自己=アイデンティティ→コミュニケーション
=文化が自己(self)をつくり、その自己=アイデンティティがコミュニケーションに影響を与える。
→文化的アイデンティティの捉え方が画一的であり、歴史的政治的な影響についてあまり考慮されていない、という批判も。 - 解釈的アプローチ:アイデンティティ=コミュニケーション=文化
=アイデンティティは、あるコンテクストで文化を「行為」しつつ、他者とコミュニケーションをすることによって作られる。「自分による自分の意味(avowal)」と「他者による自分の意味(ascription)」。
→安定した空間としての文化集団コミュニティというコンテストの中で「見える」ものだけがアイデンティティとされる、という批判。 - 批判的アプローチ:「アイデンティティ=コミュニケーション=文化」←権力
=エスニシティやネイションだけでなく、人種やジェンダーに関するアイデンティティに注目する。権力関係が絡むマクロレベルの構造的要因とともに、その構築プロセスを理解しようと試みる。
第4章 権力
省略。
第5章 異文化コミュニケーション研究の課題と展望
日本にコミュニケーション分野の中では、異文化コミュニケーションを専門とする研究者の数は多い。しかしその内容を見てみると第1章での分類における第2期(実証主義的研究)の枠組での研究がいまだに多いと指摘できる。文化の際がコミュニケーションに影響を与えることを前提とした研究が多く、文化そのものの政治性を問題とする研究は少ない。
→「文化」「コミュニケーション」「コンテクスト」「権力」の4要素がどう絡まっているかを念頭に置いた研究が必要。
◯異文化:これまでの研究では「文化」「文化差」の描写を試みることがどういった結果をもたらしうるのかについて、充分な考慮がなかった。
→「客観的」「価値中立的」な記述や言葉など存在しない。研究者自身が研究することによって持ちうる「権力」について自覚する必要がある。
→「異文化」という名付け行為自体が問題にされなければならない。
◯アイデンティティ:アイデンティティの問題を語るには、「異文化」という名付け行為に加担している可能性のある自分自身と向きあう、という反省的態度が必要。
→自分がどのような目で対象を見ているかへの自覚が必要。言葉とは話者の自由意志によって紡ぎ出されるものだ、といった幻想は捨て去った方が良い。
◯グローバリゼーション:文化資源の不平等という「現実」を直視することなく、異文化コミュニケーションを進めることは出来ない。
→デファクト・スタンダードである英語の支配性。地球規模の貧困や環境が規定する日々の生活。
【今回の三行まとめ】
- 異文化コミュニケーションの研究は戦後の国際化における実践的な要求から始まった。当初は文化相対主義的な態度であったが、実証主義的な傾向が強まり、現在ではそれを批判的に捉えて新たな態度を模索する段階に達している。
- 実践から始まった「コミュニケーション」「文化」に対する思索は、政治性と用いられる文脈に影響されている。アイデンティティなどと合わせて自らの立場を反省的に自覚する必要がある。
- 日本での研究は未だ実証的なものが主流であり、アメリカなどの後追いに留まっている。立場の自覚を通じて独自の発展を期待したい。
【今回の宿題】
- 「コミュニケーション」の定義、その理想状態。
……コミュニケーションを定義することは難しい。少し前は「コミュニケーションの理想状態」の思考実験を通じてそれを定義しようとしていたが、現在は休止中である。だが「よりよい」コミュニケーションを求めるならば、その先にある「理想」をおぼろげながらでも掴まなければならないだろう。
そういう意味で第2章の議論は(あまり踏み込んでいなかったが)興味深い内容でした。
読むべきテキストがあると毎日の生活にもメリハリがついて嬉しいですね。
それでは
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*1:文化的背景=文化というメンバーシップの空間が予め存在し、それがその成員にコミュニケーションの適切な形式と内容を教え込む。