知の編集工学 第一部まとめ
今日は久々に午前中に片付きそうです。
今回は前半のまとめとして
知の編集工学 (朝日文庫)(松岡正剛、2001)
の
第一章 ゲームの愉しみ
第二章 脳という編集装置
第三章 情報社会と編集技術
の振り返りをやっていきます。
今回は前半部の総括として、<編集>、<マルチメディア性>、<エディティング・モデル>とは何かについて改めて振り返ってみたい。
<編集>とはなにか
著者の思想のキーワードとなっている「編集」という概念は、これまでに何度も繰り返し別の言葉で定義されてきた。それを確認し、結局のところどういうことを指しているのか自分の言葉でまとめ直してみる。(強調はすべて筆者)
ようするに、編集というしくみの基本的な特徴は、人々が関心を持つであろう情報のかたまり(情報クラスター)を、どのように表面から奥にむかって特徴づけていくかというプログラミングだったのである。(p19)
こうしてみると、編集とは「該当する対象の情報の構造を読みとき、それを新たな意匠で再生するものだ」ということがとりあえず分かってくる。(p19)
ともかくも私たちは、このような情報連鎖の感覚を使って、自分のアタマの中と相手の言葉とのアクロバティックな連携をなんなく編集しながら、「リンゴ」がいつしか「桃太郎」になるというこの顛末を、連想ゲームとして楽しんでいる。……そして、この情報連鎖の感覚をいささか自覚的に再活用することが、これから少しずつ説明する<編集技術>というものになっていく。(p31)
……このような印象批評にたいして、編集はいささか反抗をする。編集は「情報の海」に突きささる句読点を打つことだからである。(p66)
分節化は情報編集のプロセスにとって最も基本的な基礎作業である。「分節化のない編集はない」といってもよい。(p75)
ざっと見返しただけでもこんなところだろうか。
共通して語られていることは、次のようにまとめられるだろう。
- まず「大きな情報のかたまり」(情報クラスター、情報連鎖群、情報の海)がある。
- そこに区切り、分節化を入れる(=情報の構造を読み解く)。
- 分節化された<情報>を再活用する(=新たな意匠で再生する)
⇒前提として「モノゴトには様々な周辺情報が付随する」ということを押さえておかなければならない。
その周辺情報群は幾重ものレイヤー(第一次の分類)を形成しながら、そのモノゴトを認知した受け手に<連想>を誘発させる。
しかしそれはあくまで過去の経験に基づいた、(それなりの秩序はあるもののそれが自覚されていない)雑多な情報の連鎖である。
そこに自覚的な分節化・プログラム・構造の読解を行い、整理し直すことで情報の受け手にとってより有用な、使いやすい形(情報群)に加工され、「新たな意匠として再生」できるようになる。
自分に取っての使いやすさ、自分がどのような基準で情報を分節・整理していくかというルールが<情報の文法>である。
<マルチメディア性>とはなにか
第三章において、<情報化>と<編集化>の分断、あるいは経済と文化の分断について考える文脈の中で<マルチメディア性>という概念が登場した。
かつて一体として扱われていた<情報文化>が分かれてしまい、さらに再統合できない理由として、「マルチメディアの足し算」で済まそうとしているから、という説明がなされている。
歴史の中で実現されてきた<マルチメディア性>について、テキストではいくつもの実例が挙げられているが、「なにとなにを掛け合わせたマルチメディアなのか」がはっきり述べられていないものも多い。
ここではそれを改めて考えることで<マルチメディア性>の本質を掴む。
まず実例として挙げられているもの。
- オーラル・コミュニケーション時代の語り部たち
- 文字時代の「物語」という情報システムの様式
- 建築、彫刻、図像、文様による情報管理
- 「音読」を前提としていた読書慣習
- 「系譜」の発見
- 「劇場」の活用
それぞれについて検討する。
◯語り部
→外部に記録媒体を持たなかった時代、語り部たちが情報を記憶(ストレージ)し、同時に要点を加工して発信していた。伝達の手段は音声だけでなく、手振り身振りなど全身を使って表現した。
⇒記憶×発声×ジェスチャー?
◯物語
→文字の発明により、語り部たちの頭の中にある情報が文字で綴られる物語として定着するようになった。
⇒記憶×文字×外部ストレージ?
◯建築、彫刻、図像、文様
→一個の建築の中に、柱や梁といった建築的構造物の配置、あるいは内装の文様や彫刻、図像といったものによって多様な情報が表現されていた。それら情報群によりひとつの物語(例えば聖書)を視覚的に読むことが可能となった。
⇒物語×視覚×触覚
◯音読
→視覚的な「文字」を読むにも、必ず「聴覚」への刺激があった。
⇒文字(視覚)×発声(聴覚)
◯系譜
→家系という時空間の再発見。血の系譜によってさまざまな情報の経路がネットワーク的に構想できるようになった。系統樹という情報整理力に富んだソフトプログラムが出現した。
⇒時間の広がり×空間の広がり
◯劇場
→かつての「祭政一致型のドラマ(前年までの重要な出来事を再生する)」だったものから、新しい情報世界を生み出すものへと変化した。世界の構造を模したシミュレーション、世界劇場の誕生。
→「建築」の項目で触れていた「ハード面での物語」に、演劇という「ソフト面での表現」が加わるようになった?
⇒物語×視覚×聴覚×身体感覚
こうして見るとテキスト中の事例は、次のようにまとめられるかもしれない。
- まず過去の出来事を「物語」という形式で<情報圧縮>して時代へと受け継いでいった。
- 「物語」は当初の「発声」「ジェスチャー」による聴覚的・動的な手段に加え、「文字」という静的で視覚的な手段、「建築など」という身体感覚的な手段で表現されるようになった。
- これらは互いに分断し合うことなく「音読」(=文字×発声)、「劇場」(=視覚×聴覚×身体感覚)というように複合的な表現形態に結びついていった。
⇒「物語」という「意味を持つ情報群」を、全身の感覚を使って同時に受け取り、発信することこそ著者の想定している<マルチメディア性>ではないだろうか。
⇒となると「系譜」の部分だけ浮いてしまうが、元から外れているのかそれとも解釈に誤りがあるのか。
<エディティング・モデル>とはなにか
同じく第三章の中で、従来の「シャノン=ウィーバー・モデル」に代わるコミュニケーション・モデルとして提出した「編集の贈り物交換モデル」を説明する概念として導入された。
編集の贈り物交換モデル
=情報コミュニケーションのプロセスを「メッセージの交換」ではなく、「エディティング・モデルの交換」と捉える。
これに先立って記憶と再生のメカニズムの検討中に言及された、
- 記憶の再生というのは「外からやってきた情報が自分に似たカテゴリーやプロトタイプを探し出す」というプロセス
- 「記憶の構造に情報を当てはめている」のではなく、「編集の構造を情報によって記憶していく」
という部分が理解に役立つとされている。
この部分、当初読んだときはどうにも意味が分からなかった。
しかしそのときの自分の理解(自分の発信の表しうる「意味」の中から、受け手が状況にふさわしい「意味」を選択的に読み取って情報をやりとりする) と、今回<編集>の意味についてまとめたことで、理解がずっと進んだように感じている。
⇒人間は情報の整理(<編集>)の過程で、分節のルールとして<情報の文法>を自分の中に形成している。
整理の基準は人それぞれなので、<情報文法>も他人との間でまったく同じものが共有されることはない。
しかし社会生活の基盤を同じくするもの同士では、ある程度似通った部分が出てくる。
他人が、その人の<情報文法>の文脈の中で発した情報を、自分の中の似たような<情報文法>の文脈に則り解釈する。完全にデジタルな情報がやりとりされている訳ではないが、結果として共有しうる「意味内容」がお互いの中に同時に発生している。
⇒つまりこの時に使う<情報文法>が<エディティング・モデル>と呼称されているものである。
「意味内容」自体は送り手受け手双方の内側から発生し、「お互いに考えているのはこういうことだよね?」という擦り合わせが起きて意味の交換が成立している、と説明することができる。
【今回の三行まとめ】
- <編集>とは、雑多で入り組んだ情報群を自覚的な基準(=<情報文法>)で整理し、使いやすくすること。
- <マルチメディア性>とは、「物語」のような「意味を持つ情報群」を、全身の感覚を使って同時に受け取り、発信すること
- <エディティング・モデル>とは、「意味内容のやりとり」のなかで受け手と送り手がそれぞれ持ってすり合わせる<情報文法>のこと。
……あー、すっきりした。時間かかったけど、まとめをやった甲斐があった。
<エディティング・モデル>について理解できたから、「編集の贈り物交換モデル」についても分かったし。
<マルチメディア性>はもっと突っ込めるし、<編集>も「分節の相互参照性」の部分にまで行くとまだ怪しいけど、当面はこのくらいで大丈夫でしょう。
これで明日から気分よく第二部に進めます。
一仕事どころか二仕事ぐらい終えた気分ですが、午後も頑張っていきましょう。
それでは
KnoN(120min)