ロラン・バルト(シリーズ現代思想ガイドブック) その1
髪の毛切りたいです。
初夏の気候になってきてから後ろ髪が鬱陶しい。
今日時間があれば切りにいってきます。……あるかな?
記事によると前回切ったのは4/8らしいですね。サイクル早め。
さて、ようやくテキストも手に入ったので、
今回からは
ロラン・バルト (シリーズ 現代思想ガイドブック)(グレアム・アレン、2006)
をやっていきます。
今まででいちばんヘビーな内容になりそうですが、なんとか頑張る。
まずは
第一章 エクリチュールと文学
から。
- 作者: グレアムアレン,Graham Allen,原宏之
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2006/04
- メディア: 単行本
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第一章 エクリチュールと文学
サルトル『文学とは何か』
バルトそのものの思想を見る前に、なぜバルトがその考えに至ったのか、その前史となる思想を確認しておかなければならない。ここでそれにあたるのはジャン=ポール・サルトルの仕事である。
サルトルは『文学とは何か』の中で、「文学は作者と読者との間の交換である」としている。
→作者は読者が真正に(虚心坦懐に?)読むことを要求し、読者は作者がこの要求をきちんと行うように求める。
⇒作者と読者は文学へとアンガジュマン(参加、engagement)すべし、という規範。
=書くこと。広義では,線・文字・図を書くこと,狭義では書かれたもの(特に文字言語)をさす。フランスの哲学者デリダにより,西欧の音声(ロゴス)中心主義を批判するのに用いられた語。
(kotobankより引用)
=もともとは〈契約〉〈誓約〉〈拘束〉などの意。しかし第2次大戦の直後から,作家で哲学者のサルトルがこの語を用いて一つの思想的立場を打ち出すに及び,〈政治参加〉〈社会参加〉といった意味でも広く用いられるようになった。 サルトルによれば,人間はだれしも自分のおかれた状況に条件づけられ,拘束されているが,同時にあくまでも自由な存在である。したがって,どんな局面においても人はその状況の限界内で自由に行動を選択しなければならないし,自由に選択した以上は自分の行動に責任を負わねばならない。
(kotobankより引用)
……このアンガジュマン(エンゲージメント)という概念が重要らしい。エクリチュールに関しては、文脈によって指す内容が異なる曖昧な用語なので、とりあえず「書き言葉」とでも変換しておく。
「作家の自由とアンガジュマンを制限するもの」を考えるには、大きく二つのアプローチが存在する。
- 文学の発展の歴史を、作者と読者の間の交換関係の点から考察する。
- 戦後フランスにおける作家の現在の立ち位置を素描する。
サルトルはここ200年(フランス革命前夜〜)の文学の変貌について、「ブルジョワジーという社会階層による支配の勃興という文脈の内部で発展を遂げた」と論じる。
→ブルジョワ階級出身者が、ブルジョワ階級の読者に向けて書くことで、(当時の王政や貴族制、教会権威に対する)社会参加を表現することができた。
しかし革命以後ブルジョワ階級が権力を握るに至り、その態度を維持することは体制の追認を意味する。
→文学は前衛的な形態をとり、ブルジョワ階級の読者を攻撃することで体制を批判しようとした。
→だがこれは、読者とのコミュニケーションの拒絶、アンガジュマンの否定ということである。
以上がサルトルの議論の概要になるが、重要なのはこれがバルトにどのような影響を与えたかである。
バルトは基本的にはサルトルの研究と共通のテーマや関心を持っているが、アンガジュマンの思想については根本的に不同意をしめしている(らしい)。
サルトルの分析に「形式への注意」という観点を加えて修正したのがバルトのアンガジュマン概念ということになる。
……いきなりむずかしいが、要するに、
- 文学は体制を批判する。
- 革命以前はブルジョワ階級がブルジョワ階級に向けたものを書くことが、「批判への参加」だった。
- 革命以後はブルジョワ自身が支配階級となり、文学はそれから距離を置くことで「批判への参加」を継続しようとしたが、コミュニケーションを拒否した表現はもやは「参加」となりえない。
こんな感じでまとまられると思う。
「形式」というメタ・メッセージ
バルトの議論は言語活動と文体をエクリチュールから区別することから始まる。
言語活動=時代と場所によって与えられるもの
文体 =作者の身体から意思に構わず由来するもの
→これらは作者にとって選択の余地のない領域。
エクリチュール="形式"と呼ばれる、作者が特定の共同体とわかちもつ一連のコードと慣習に関わるもの
⇒同じ内容をどのように表現するかで、メタ情報が付与される。
文学におけるアンガジュマン(参加)の問題において、サルトルとバルトの立場はこのように異なる。
サルトル→厳密なコミュニケーションの内側にある。メッセージ(文章内容)こそが重要。
バルト→メッセージを越えた外部で伝達される情報(思想が運ばれるやり方が提供する情報)が重要。
……伝えたいメッセージをどのように表現するか。文字、映像、音声。小説、ルポタージュ、詩。誰の視点で描くか、どのような切り口で描くか。
その"形式"を選ぶこと自体がすでに「作者が読者に伝えたいメッセージ」を含んでおり、ある種の"参加"への意思表明につながる。*1
→「相異なる形式は多数の異なる立場とパースペクティブに連結されていて、作品が受容される仕方や形式が生み出す意味に避けようも無く影響する」
しかしこのようなメタ・メッセージとしてのエクリチュールも、つねにファッションとして堕落してしまう可能性を持っている。
意図を持って選択した形式が、単なる「紋切り型の表現」になってしまったとき、その表現としての意味は失効してしまう。
→「エクリチュールは絶えず「文学」の内部に凝り固まろうとしている」
「文学」の逃れ難い重力
こうしてみると文学は自由への探求において無実の当事者ではないことが分かる。
→「文学とは、自らのうちに全ての文化実践を吸収して自身の目的のために作り直す一つの制度であり権力の本拠なのだ」
ここでのバルトの理論は、ドイツのマルクス主義理論(フランクフルト学派)の立場に近い。
そのひとりであるテオドール・アドルノは、近代「文化産業」というものに言及し、「現代資本主義社会がすべての芸術実践を自らの商業主義化と商品化のプロセスに巻き込んで飼い馴らしてしまう」としている。
⇒すべてがマーケットの上に展開されるようになる。
(参考 マイケル・サンデル『それをお金で買いますか――市場主義の限界』)
「文学」はこのブルジョワ「文書」への吸収に抵抗するために様々な戦略を模索するのだが、最終的にはより先鋭化・過激化して「文学」を否定することになってしまう。*2
→しかしこのような態度は、すでに述べてあるように、「コミュニケーションの全面放棄」にしか導きえない。
ここでもう一つの戦略として浮上してくるのが、「ゼロ度/ニュートラル/無活性/無償透明のエクリチュール」を生産しようとする試みである。その例としてカミュの『異邦人』を挙げている*3。
→エクリチュールからその本来持っていた意味を取り除き、脱色された形式として扱うことで「文学」へ取り込まれることを回避しようとする。
もしも「文学」がエクリチュールに、望まれない意味、慣習的な連想や伝統の規範体系、支配的イデオロギーを付与するものであるならば、カミュの有する中性さ、つまり「無色透明の」エクリチュールは、そうした意味の付与のような装飾を廃棄しているかのように思われる。
だがこの「ゼロ度のエクリチュール」の様式に関しても、将来的には「文学」と支配的文化への吸収と同化のプロセスを避けることはできない。
→すでに『異邦人』の形式には、「古典の典型」「良きフランス文学」などの文脈が与えられてしまっている。
最終的なバルトの結論は悲観的(あるいは弁証法的)であるように思われる。作家と作品は「文学」の重力から逃れられない。
文学的エクリチュールは歴史の疎外と歴史の夢とを同時に担っている。つまり、文学的エクリチュールは、必然として、階級分裂と不可分の言語の分裂を証しているが、自由として、その分裂の意識であり、その分裂をこえようとする努力であるということにほかならないからである。
(『零度のエクリチュール』)(傍点の代わりに強調)
【今回の三行まとめ】
- かつて体制を批判するためにあったブルジョワ階級の文学が、ブルジョワが支配階級になることによって成立しなくなった。
- メッセージの内容そのものだけでなく(あるいはそれ以上に)、その形式(エクリチュール)によって与えられる情報が重要である。
- 権威化・商業化した「文学」にたいして、「ゼロ度のエクリチュール」を用いることでその重力から逃れようとするが、その効果も一時的なものに過ぎない。
【今回の宿題】
- 「疎外」の意味
- 「文学」の指している内容の精査
……バルトの著作そのものではなく、バルトの入門書を読むことにしました。
目当てというか、一番気になっているトピックは「記号論」なのですが、このエクリチュールの話も面白かった。この章はわりと理解できたと思う。
おそらく2週間ほどかかると思いますが、5月中に終わらせられるようなペースでじっくり取り組んでいきます。
どうでもいいですが、フランス語には馴染みがないので「アンガジュマン」とかいう単語を見るたびに「ウルトラマン?」みたいな連想が起こります。「エンゲージメント」と脳内で言い換えながら読んでました。
それでは
KnoN(120min)
- 作者: ロランバルト,Roland Barthes,森本和夫,林好雄
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1999/10
- メディア: 文庫
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