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KnoNの学び部屋

落ち着きのない大学院生が専攻に関係ない(むしろそっちのけで)学んだコトを記録しておく場所

短歌という爆弾

◯単発・その他

毎週金曜日はブログの更新日にしたい。

いくつかネタ自体は溜まっているので、読み切りみたいな感じで簡単に記事を更新していけたらいいなと思っています。

 

今回は

短歌という爆弾: 今すぐ歌人になりたいあなたのために穂村弘、2013[2000])

の感想まとめ。

 

 

 自分の世界の広げ方

 もともと「短歌(和歌)*1」というジャンルには興味を持っていた。

 特に注目していたのが「本歌取り」と呼ばれる技法。これは既存の歌の一部を引用してくることで新しい歌の解釈に深みを生み出すものなのだが、これを単純に情報の量の観点から見ると「一首分の文字数(三十一文字)で二首弱分の内容を伝えることができる」と考えることができる。「情報の伝達効率」に関心を持つ身からすると、なかなか興味深い状況だ*2

 

 「短歌(和歌)の基本と言ったらやっぱり百人一首」ということで学び始めたこともあったのだが、どれもこれもさっぱり面白くない。大昔の山川の情景を詠まれたところで、現代に生きる自分にはとんと見当もつかない。

 短歌(和歌)は自分には合わないジャンルだったのだ、と諦めかけたところ、本屋でたまたま平積みにされていたこの本が目に入ったのだった。

 

 「爆弾」というワードに心を惹かれたのだと思う。

 作者としてどれだけの思いを、伝えたい情報量を圧縮し研ぎ澄ませた表現で読者に提示できるか。平板な記述の節々からドロドロとした熱量を感じ取らせることができるか。自分が小説書きとして追求しているテーマと、「爆弾」という小さなものがふとした拍子に弾けるイメージが重なって感じられた*3

 一目惚れ、あるいは別のジャンルの言い方をすると「ジャケ買い」みたいな感じでそのままレジに持って行き、そのまま近くのドトールに入って読み始めたのだった。

 

 直感は当たった。

 近現代の短歌には、内容的にも表現的にも共感できるものがたくさんあった。百人一首に馴染めなくても短歌の世界を楽しむことができるとわかった。

 とはいえこの本は短歌を単に紹介することがメインであるわけではない。むしろその「構造図」=なぜその短歌が心に響くのか、を読み解くことに多くの紙幅が割かれている。おかげで短歌という表現形態に対する理解が一気に進んだ。

 

 最近は自分でも幾つか作って遊んでみている。直線的で奥行きもなく、なんとも素人臭いものばかりだが本人は楽しい。

 詠んでいるのはオリジナルだけではない。むしろこっちがメインなのだが、過去の自分の小説作品を短歌の形で抽象的に表現できないかと試みている*4

 

 読書が自分の世界を広げる営みだとするならば、『短歌という爆弾』はかなり大きな成果をもたらしてくれたと言えるだろう。一期一会のラッキーな出会いだった。

 

なにが短歌を爆弾たらしめるか

 本書は「短歌という爆弾」の「製造法=作り上げる過程」「設置法=発表の場」「構造図=読み解き方」について説明する構成になっている。気になったトピックをここにメモしておく。

 

  • 「愛情や善意や暖かさは世界の半分に過ぎない」
    「善意や好意や明るさの領域だけで書かれた歌には、本当の力は宿らない」
    →「製造法」の中で言及されていたこと。三十一文字の限られた場所でさえ、あるいはだからこそ、世の中の多面的な宿命を織り込んでいかなければ心に響く懐の深さが得られない。

  • 共感(シンパシー)と驚異(ワンダー)の合わせ技が人を感動させる
    →「構造図:麦わら帽子のへこみ」のテーマ。読者に「手に取らせる」のは共感、読者の「心を震わせる」のは異質への驚き。

  • 「入力型(=外界の感受)」の歌、「出力型(=詩型に固有の味わい)」の歌
    →「構造図:液体糊がすきとおり立つ」のテーマ。「外界に起きたことをどのように感受する(=解釈する)か」あるいは「感じたことにどのように形を与えるか」のどちらに重点が置かれているかで短歌をわけることができる。

  • 「心を一点に張る」その捨て身のテンションの高さによって成立させられる作品世界というものもある
    →「構造図:原子力発電所は首都の中心に置け」のテーマ。正直よく分からないが、「心を一点に張る」のピンと張り詰めたイメージが心に残った。

 

 「いいね」な短歌

 本文中ではいくつもの短歌が例示作品として出てくる。いわゆるプロの作品だけでなく、著者の短歌サークルに投稿してきた作品や朗読会で出てきた作品もある。

 その中から「いいな」と思ったものをまとめてみた。

 

  • 砂浜に二人で埋めた飛行機の折れた翼を忘れないでね俵万智
    →「共感と驚異」の例示。「砂浜に二人で埋めた」ものが、安易に綺麗な貝殻だったりしないギャップが強い印象を生む。

  • 帽子からのぞく青空冷えた風つばを引き下げ逢いに行こうか(中村典子)
    →なんだか格好がいい。ちなみに作者は中学生(当時)とのこと。

  • こわばつた体のままで横たはる君抱かれてないときチェロは(入谷いずみ)
  • さみしさを紛らわさうと辞書をよむ夜の途中に鉄橋がある(古谷空色)
    →朗読会における「相聞歌*5」の一部。連作から切り出してくるのもナンセンスだが、好きな部分だけ。

    前者は最後の「チェロは」のいかにもな不安定さに心惹かれる。
    後者は……なんだろう、しんみりとした感じ?

  • 抜き取った指輪孔雀になげうって「お食べそいつがおまえの餌よ」穂村弘
  • 教会の鐘を盗んであげるからコーヒーミルで挽いて飲もうぜ穂村弘
    →著者自身の最初期の作品。一言で言ってしまうと洒落が効いている、人をおちょくっている感じがするのが良い。

  • そうですかきれいでしたかわたくしは小鳥を売ってくらしています東直子
    →著者と自分で読み方に違いがあるなと思ったもの。本文では「「何が」きれいだったのか」明らかにされていないところに想像の余地がある、と解説しているが、個人的には「きれいだったのは「わたくし」」だったように感じた。
    後半(「小鳥を売って〜」)とのつながりがさっぱりわからなくなるけど、それはそれでいいのだ。

  • 逃げて行く君の背中に雪つぶて 冷たいかけら わたしだからね(田中槐)
    →水彩絵の具のような透明感、儚さ?

  • 昭和というウォツカが壜に三センチのこったままで捨てられている(大滝和子)
    →具体性と抽象性の絶妙なバランス。

 

 

……あんまりうまい感じには書けなかったかな、という反省。あまり頭の中が整理されていないまま、それこそ箇条書きのメモしか作らずに書き始めたので案の定といえば案の定。読みにくかったらごめんなさい。

 

それでは

 

KnoN(100min)

 

ラインマーカーズ―The Best of Homura Hiroshi

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現代秀歌 (岩波新書)

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百人一首 ─まんがで読破─
 

 

*1:あんまり「短歌」という言葉は好きではない、しっくりきていないのだけれど、かと言って「和歌」だと古典作品を示してしまうし、他の上手い言葉も思いつかないしで、この辺りは痛し痒し。

*2:最もこれは短歌に限らず「引用」全般に言える。

*3:ここはやはり梶井基次郎を思い出すべきなのだろうか。

*4:こういった作品をどういう風に外に出していくかが現在の悩み事。ここでやるか、もう一つの小説ブログの方でやるか、あるいはtwitterなんかで済ませてしまうか……。

*5:男女が互いに贈り交わした歌

相聞歌(そうもんか)とは - コトバンク