KnoNの学び部屋

大学に8年在籍した後無事に就職した会社員が何かやるところ。

哲学入門 その1(後編)

九日ぶりにしっかり晴れました。

……相変わらずのど痛いですが。

これ以上遅れるとそっちの方がストレスになりそうなんで、今日はちゃんとやります。

 

引き続き

哲学入門 (ちくま新書)戸田山和久、2014)

第一章 意味

の後半をやります。

 

哲学入門 (ちくま新書)

哲学入門 (ちくま新書)

 

 

  前回、「意味を考えることは、生きものが生存のために何かをすることについて考えること」というように問いの立て直しを行った。

 これはつまり「外界の状態について感覚器官から情報を取り入れ、その情報を処理して、外界の状態にうまく対処するための行動を生み出す」(=認知する)ということだ。

 第一章の後半ではまず「認知」のメカニズムを考え、そこから「意味する」ということについてより答えやすい形に考え直すこととする。

 

認知科学から考え直す

 認知科学もさまざまな立場を持っているが、そのなかでも初期の認知科学で共有されていた認知観・人間観として「古典的計算主義」がある。

古典的計算主義

=次の4つの考え方を混ぜ合わせた立場。

 

  1. 表象という存在者を認める
    →表象(representation)とは、認知のプロセスの中でアタマの中に生まれている(と考えられている)「外界の実物に対応する何か」である。この存在を前提として認める。

  2. 思考の言語仮説
    →われわれが認知に使っている表象は、言語のような構造(=統語論的な構造*1)を持っていると考える。

  3. 狭義の計算主義
    →認知とは統語論的構造を持つ表象に対する計算である、と考える。

  4. 統語論的エンジン
    →認知を駆動させているエンジンは、意味を燃料とせず統語論(形や並び)だけを手がかりにして動く、という比喩。

 →この考え方のもとでは「人間のアタマの中の情報処理は、本質的にはコンピュータのそれと変わらない」「われわれも意味の理解を持ち得ない」という結論になる。

 

 ここまでは議論の前提として、人やロボットといったエージェント(主体)が想定し、それが意味を理解しているとはどういうことなのかということを考えてきた。

 しかし古典的計算主義の立場に立てば、エージェントのアタマの中では表象の計算により全てが行われている。

エージェントが意味を理解している=エージェントが計算している表象が何かを意味している

 

 こうして問題は「表象が表象であるとはどういうことか」「心的表象Xが外界の、BではなくAを意味するということの正体は一体いかなる事実なのか」というように、表象を主語として立て直された。

→これを当初の方向性通り、唯物論的・発生論的観点から答えることにする。

 

 

表象と意味を自然化する

 さて、唯物論的・発生論的観点から考えるとしたとき、まず棄却しなければならない考え方に「解釈主義」がある。

 

◯解釈主義

=意味はそのままでは存在せず、第三者が解釈することで初めて意味が生まれる。
→意味の関係を解釈者によって作り出されるものと考える。

 

 

 ここでの立場では、意味の関係を、解釈者による恣意的なものとしてではなく因果関係による自然的なものとして説明したい(=意味の自然化)。したがって解釈主義の立場をとるわけにはいかない。

 

 こうした唯物・発生的説明の一つ目は次のようなものだ。

 

◯因果意味論(Causal Semantics)

=表象Xは事物Aだけが原因で生まれるものとして、一対一に対応させる。

   表象XがAを意味している ⇔ Aが、そしてAだけがXを生み出す原因である

(⇔:後ろが前の必要充分条件であることを示す記号)

 

 

例:ネコのトムはネズミを見ると脳内に表象Xを形成する。Xはネズミ以外の原因では生じない。このとき「表象Xはネズミを意味する」とする。

 

 しかしこの説は大きく二つの問題を抱えている。

  • 選言問題(表象間違いの不可能性)
    =因果意味論においては、例えば「表象Xと事物AまたはB」という対応付けがなされても、それを誤りだと退けることが出来ない。
  • ターゲット固定問題
    =対象を知覚するまでには、実際には幾つもの段階を経ている。因果意味論では表象Xが事物のどの段階と結びつけられているのか明確に出来ない。*2

 

 

意味の起源論的定義

 これらの難点を回避しながら「意味を自然化する」有望な説明のひとつとして、ルース・ミリカンが唱えた「目的論的意味論」がある。

 

目的論的意味論(teleosemantics)

=「本来の機能」という概念を用いて表象の意味付けを説明する。次の3つのステップから構成される。

  1. 「本来の機能」の想定
    →この想定により「本来の機能を果たせなくなっていたとしても(機能不全)、そのものの持つ本来の機能は変わらない」という説明が出来るようになる。
    →表象間違いは「本来事物Aを意味するはずの表象Xが、事物Bをも指している=機能不全を起こしている」ケースとしてとりこめる。
    「選言問題」の回避

  2. 本来の機能」の因果関係への還元(=自然化)
    →「本来の機能」を「自然選択の中で、どういう目的を期待されて採用されてきた機能か」という点で定義する(起源論的定義)。
    SがもつアイテムAがBという本来の機能を持つ
    ⇔ SにAが存在しているのは、Sの先祖においてAがBという効果を果たしたことが、生存上の有利さを先祖たちにもたらしてきたことの結果である

  3. 本来の機能の自然化を意味の自然化に当てはめる
    →表象の原因(producer)ではなく使い道(consumer)に注目する。
    →主体Sについて「事物Aに対して表象Xを対応させることが、生存上の有利さにつながる」と考えれば、表象の意味を因果関係の元で定義できる。
    「ターゲット固定問題」の回避

 

 

 目的論的意味論に対する反論として次のようなものがある。

  • 人間の持つ表象全般を扱えるのか?
    =原始的な表象はともかく、抽象的なもの・存在しないものについての意味は進化論(自然選択)的には説明できない。
    →批判というよりは「拡張のための課題」と理解すべきだろう。
    →進化より短いスパンの「学習」により身につけるとも説明できるし、そもそも「全ての表象にひとつの意味論を与えなければならない」という発想が誤っている可能性もある。

  • ピエトロスキの思考実験
    =キムとスノーフ。太陽を苦手とするスノーフから逃れるために「赤いところ」を目指す性向を獲得したミュータント・キム。「赤い」と「スノーフがいない」が同じ表象?
    →そもそも思考実験の記述に不備があるのが問題。

  • 選言問題の解決不十分
    =ジェリー・フォーダーの批判。カエルの表象はハエと黒いBB弾を区別しているのか。
    →「カエルとわれわれの認識の違いによる幻想」「環境激変期に生じる不具合」

  • スワンプマンの思考実験
    =詳細はリンク先など参照のこと。進化(学習)の歴史を持たないコピーは表象の意味を持ち得るか。
    →大きな論争を巻き起こした思考実験だが、「われわれの認識不足が哲学説と直観の衝突を引き起こしている」「思考の狭さ/広さの違い」などが指摘できる。
    →本書では主題に関係ないとして、思い切って無視する!

 

今回の三行まとめ】

  • 意味を考えるには認知を考えなければならない。認知の古典的計算主義の立場に立てば、わたしたちも意味の理解を持ち得ないということになってしまう。
  • 統語論的操作の対象である「表象」を考え直すことで意味についても考えられそうである。ミリカンの目的論的意味論がその有力な提案となり得る。
  • 「本来の機能」を自然化できれば、「表象」しいては「意味」も自然化出来る。

 

【今回の宿題】

  • 「選言問題」のわかりやすい説明
  • 「本来の機能の起源論的定義」のわかりやすい説明

 

 

……前回が長くなりすぎたことを反省し、今回は思い切って短くしてみました。前回約6000字に対して今回は3000字と少し。テキストのページ数はほぼ同量です。

 例示などを見ればどれも分かりやすく説明されているのですが、それを抽象的な言葉だけで短くまとめるのが難しい。テキスト本文見てもらった方がすんなり理解できる気がします。

 リード分で「しっかり晴れた」とか書いていたら、記事執筆中に雹が降ってきました。風も強くて大嵐です。そしてこのあとがきを書いているときにはきれいな青空が見ているという。

 秋だけでなく、6月の天気も充分に変わりやすいと思うのです。

 

それでは

 

KnoN(120min)

 

シリーズ心の哲学〈3〉翻訳篇

シリーズ心の哲学〈3〉翻訳篇

 

 

*1:①全体が部分から組み立てられる、②同じ部分が、意味を変えずに異なる全体に現れることが出来る、③全体の意味が部分の意味と、組み立ての構造から決まる

*2:ネコがネズミを見ると、「ネズミという実体」「そこから反射した光」「網膜に結ばれる像」「視神経信号伝達」「視覚野への刺激」というようなメカニズムで知覚される。このとき表象Xがどの対象が原因となって生じたのか決定できない。