KnoNの学び部屋

大学に8年在籍した後無事に就職した会社員が何かやるところ。

あえて今見る劇場版ドラえもん:アニマル惑星/創世日記/南極カチコチ大冒険感想

もはやきっかけは思い出せないのですが、おとといの夜に「映画ドラえもんの怖い話」を調べていました。

こんな感じの記事とか。

www.70percent-komado.com

 

劇場版ドラえもん(大長編作品)は2018年現在までに合計38作、馴染みがある「のぶ代ドラ」時代に限っても25作品あるそうです。

ドラえもん映画作品 - Wikipedia

 

多分にもれず子供の頃にはビデオレンタルで結構楽しんだと思うのですが、それでも一度も見たことがない作品もいくつかあります。

今日は一日部屋でゴロゴロすると決めていたので、Amazonプライムビデオでいくつか見てみたのでした。

※ネタバレ全開なので一応ご注意ください。

 

小説 映画ドラえもん のび太の宝島 (小学館文庫)

小説 映画ドラえもん のび太の宝島 (小学館文庫)

 

 

 一つ目:ドラえもん のび太とアニマル惑星 

ふしぎなピンクのもやを通って、動物の星にやってきたドラえもんたち。そこで出会った犬の少年チッポは、古代の遺物を求めて「禁断の森」探検を計画していた。だが、月の悪魔族が攻めてきて・・・!

Amazonビデオ商品ページより引用)

 1990年公開の映画シリーズ第10作。存在は知っていたけど興味が湧かなかったタイプ。必要以上に子供向けっぽく見えて。

っていうか10作目で『日本誕生』より後なのか……もっと前の最初期の作品かと思ってた……。

 

あらすじにもある「ピンクのもや」の中をのび太がさまようシーンがから始まる冒頭。不定形のものが日常の中で忍び寄り、どこともしれない場所へ連れていかれる様は確かに恐ろしい。

 

一見平和で環境に優しい理想的な社会に見えるアニマル惑星も、そこが行き過ぎていてそこはかとないディストピア感がある。不気味さ、不穏さ。

特に「大ごもり」の日、街から人の気配が完全に消えてしまうところとか(家の中にいる気配すらない。どこへ消えていたのか、家の中にいたなら何をしていたのか)、そんな時でも無人の工場でひたすら食料を合成し続ける機械群とか。

 

作者自身が振り返っているように、作中(特に現実世界サイド)での環境問題の扱い方はかなり露骨。最後の決着のつき方も、理念的・御都合主義でテーマに対するきちんとした回答が出せているとは言い難い。今ならもっとこなれた脚本への取り込み方ができそうだけど、どうだろうか。

とはいえ最後のニムゲの親玉がマスクを取るシーン。あそこであえて素顔を晒させ心からのセリフを言わせたことで、悪玉侵略者として描かれてきたニムゲの側の事情を示唆して単純な二項対立を崩したのはさすが。あれだけで作品に奥行きが生まれた。

 

全体的には予想していたより面白かった。

これを自分が小学生までに見ていたとしたら、どんな感想をもっただろうか。

 

二つ目:ドラえもん のび太の創世日記

ドラえもんが取り寄せた「創世セット」で創った、新地球。のび太は、この地球を観察して、夏休みの自由研究にするつもりだ。「進化退化放射線源」を使って、生物の進化を促したりして、のび太の地球は順調に育っているように見えた。だが、この世界は、どうも様子がおかしい。なんと、独自の進化をとげた、昆虫人が出現。はたして、地底に何が隠されているのか。

Amazonビデオ商品ページより引用)

1995年公開の15作目。よく『日本誕生』と間違われるらしい。 印象そのものが薄くて小さい頃の自分は認識していなかった可能性がある。

 

ドラえもん一行が「新地球の様子を観察する第三者」としての立場をとる異色作。特にジャイアンスネ夫の出番が少なく、「きれいなジャイアン」の出番もない。

のび太に似ている代々の「野美」一族を実質的な主人公としたオムニバス形式で、全体的に淡々と話が進んでいく。まさに「創世の観察日記」。ちなみに各時代のエピソードは神話やおとぎ話を基にしている、らしい。

 

  • のび太が作った新地球は、実際の地球と同じような経過を辿りつつも昆虫人の存在という大きな違いを持っている
  • のび太が作った世界の住人であるはずの昆虫人がのび太の現実世界に干渉してくる
  • 昆虫人と新地球人の絶滅戦争への回答が「創世セットで新たな地球を作ってそこへ移住する」というもの

とSF的な非常に複雑な構造を持っている。

特に最後のポイントは問題を入れ子にしているだけに過ぎず、本質的な解決にはなっていない。種族間の深刻な対立を生み出すきっかけが「神・のび太の悪意なき介入」であるというのもの罪深い。

子供時代にみたとしてこの難解なストーリーをきちんと理解できただろうか。

今だからこそ色々語るのが楽しそう。

togetter.com

 

作品自体だけでなく、感想を漁っている時に見つけた「自己組織化の結果としての生命誕生」というアイデアが初めて聞くものだったのでメモしておく。

ちゃんと調べきれてないけど、

  • 『創世日記』ではのび太の気まぐれ的な介入(=偶然的要素)が生命誕生の要員として描かれていたが、現在では「生命の誕生は必然的」という考えが主流
  • その根拠となるのが「自己組織化」という考え方で、ある条件のもとでは化学反応などが必然的に進行し、その結果として生命と呼ばれる状態になる

という感じらしい。

生命とは他でもない、自己組織化によって生まれた散逸構造のひとつの形態だと言える。

この発見によって、人類は生命と非生命とをひとつの枠組みで語る方法論を手に入れた。そのふたつは、もはや無と有の関係ではなくなった。つまり、必要十分なエネルギー供給が存在するある種の環境下で発生した散逸構造が、その維持の継続性を自ら担保する構造へと遷移した時に、それは生命と呼ばれる状態になるのだ。


そのように捉える時、非生命と生命を隔てる境界線はきわめてぼやけたものになる。そして、「生命の誕生」という特権的な瞬間は存在しなくなる。

生命はなぜ生まれたのか - とらんすぽぞん《ブログ》より引用)

 

面白い。こんどちゃんと調べてみよう。

 

三つ目:ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険

南極から流れてきた大氷山で、のび太が見つけた不思議なリング。どうやら10万年前から氷づけにされているようだ。 「10万年前の南極に行って、落とし主を探しだそう! 」ぶあつい氷の下には、大いなる謎が眠っていた。 地球の危機を救う、勇気と友情の大冒険がいま始まる!

Amazonビデオ商品ページより引用)

 時代が一気に飛んで、2017年公開の通算37作目準最新作。Amazonプライムビデオで今日から見られるようになっているけど、リンクがうまく貼れなかったのでBlu-ray

去年の公開前の段階でポスターが非常に印象的、面白そうで気になってた。結局その時は見にはいかなかったわけだけど。

 

 

 

実はこれはまだ見終わってない。というかまだまだ序盤。

3作まとめてレビューしようと思ってたのが、途中別の用事をやってしまって日付変わるまでに見終わりそうになかったのでこんな形に。

 

もちろん20年以上離れているので声優から作画レベルまでまるっきり違うわけだけど、演出の仕方の差が序盤は印象に残った。

背景を描く手間が減ったからなのか、とにかくカメラがよく動く。グリグリ視線を動かす。ダイナミックな絵作りが可能になっている。

 

声優交代自体も「これはこれで」と思っていたので、特に違和感なく楽しめている(そもそも交代したの2005年で10年以上前だからね……)。

ストーリーも続きが気になるぞ!

 

 

なんだかガッツリ書いちゃいました。3500字越えです。週末は時間気にせず書けるからいいね。

 

上で挙げた以外に気になっているのは

このあたり。

でも流石に明日は別のことする予定なので、見るとしてもしばらく先になるかな。

 

ちなみに一番思い入れがあるのは、たびたび名前を出してた『日本誕生』です。

藤子・F・不二雄先生が亡くなった後にテレビで追悼放映してたやつをビデオで録画し、何度も見返した幼少期の思い出。

 

今日はこの辺りで。ちかれた。

 

KnoN