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KnoNの学び部屋

落ち着きのない大学院生が専攻に関係ない(むしろそっちのけで)学んだコトを記録しておく場所

現代日本のコミュニケーション研究 その6(後編)

少し間があきましたが。

各章ごとに内容がめんどくさくて、休み休みやってたら一日仕事になってました。

 

引き続き

現代日本のコミュニケーション研究(日本コミュニケーション学会、2011)

第Ⅵ部 コミュニケーション学の問題系

の後編をやります。

 

現代日本のコミュニケーション研究

現代日本のコミュニケーション研究

 

 

 第4章 ナラティブ

 このブログでも度々触れてきたように*1、私たちは絶えず物語を生産・書き換え・消費しながら生きている。私たちがコミュニケーションなしでは生きていけないのと同様に、物語なしで生きていくこともできない。

 本章ではウォルター・フィッシャーの提唱する「ナラティブ・パラダイム」とそれに付随する議論を検討しながら、コミュニケーション研究における「物語」の意義を明らかにする。

 

 1978年、フィッシャーは「よい理由の論理に向けて(Toward a Login of Good Reasons)」という論文の中で、物語(narrative)という観点からコミュニケーション現象に接近することを提唱した*2

 フィッシャーは当時主流であった「合理的パラダイム」を批判し、「ナラティブ・パラダイム」とよばれる当たらな知的枠組みを導入した。

  • 合理的パラダイム(rational world paradigm)
    =人間は合理的な生きものであるという前提に立ち、証拠・事実・論理を駆使した討論(argument)によって物事を決める考え方。
    →「合理的」な議論のやり方を学ぶ必要性から、一定の教育・訓練を受けた知的エリートのみを対象とするような排他性を持つ。
    →論理を重視するあまり、善悪・倫理・道徳にかんする言説を上手く理解することができないという欠点も。

  • ナラティブ・パラダイム(narrative paradigm)
    =人間を物語る生きものであると理解し、「よい理由(good reason)」に基づいて物事を判断するとする考え方。論証(reasoning)だけでなく、価値判断(valuing)を重視する。
    →非エリートも最低限の良識さえあれば「物語の解釈」に参加することができ、そこでは「物語の合理性」に基づいて判断が下される。

  • 物語の合理性
    =「物語の蓋然性」と「物語の忠実性」の2要素からなる
    物語の蓋然性=ストーリーが矛盾なく首尾一貫していること
    物語の忠実性=聞き手の人生における「真実」と一致していること

 

⇒非エリートの聞き手は、語られる「物語」の客観的な論理的妥当性よりも、むしろ「直観的な一貫性」や自分の身に当てはめて考えた時の「もっともらしさ」を判断の根拠として議論に参加する。

 

 フィッシャーの議論がコミュニケーション研究に重要な視点を導入したことに疑いの余地はない。

  • 「論理」に対する「価値」の重要性の再確認
  • 説得行為が「討議」だけでなく、語り手と聞き手の「一体化・同一化」を通してでも達成できることの再確認

 しかしその議論の曖昧さや楽観主義に対しては、いつくかの異論が提示されている*3

  • ウォーニックによる反論:物語が特定の人々にとって「よい」と感じられたなら、それは少なくとも彼ら彼女らにとって「よい物語」であるしかなく、それに対して高所的な観点から批判することはできない。
  • ウランドによる反論:フィッシャーの物語概念の捉え方は広範すぎるため、ナラティブ・パラダイムが説明能力と批評能力を失ってしまっている。合理的パラダイムを乗り越えるのではなく、併存・補完するものとして位置づけるのが妥当である。

 

 物語という視点を導入することで、コミュニケーション研究者は何を得ることができるのか。

  • アイデンティティについて考える手がかり
    →自分が統一された一個の人間であるという感覚や自分らしさといったものは、私たちが日々創り出し、書き換える自分自身の物語によってもたらされる、といえる。*4
  • 社会について考える手がかり
    →社会を物語の集合だと捉えることで、流動性のあるものとして考え直すことができる。

→物語は自己や社会を書き換え可能な緩やかな統合体として捉え直すことを可能にする。

 

第5章 精神分析

 精神分析とコミュニケーション学との関係で重要なことは、レトリック研究における一つの大きな展開があったことである。

→話者を中心とした説得技術の研究から、オーディエンス(聞き手)のメッセージへの同一化作用に焦点を当てた研究へ。前者は話者の意識的な説得力に、後者は聞き手の無意識的な反応に重点が置かれている。

→この「意識ー話者」から「無意識ー聞き手」への焦点の移動は、ポスト構造主義の理論を元にした「言語学的転回」と呼ばれる認識枠組みの大きな変化によって必然の物となった。

(以下、省略)

 

第6章 映画/映像へのアプローチ

省略。

 

第7章 表象

 本章では、文化の組成やコミュニケーションのメカニズムを考察する際にも重要となる「表象」の概念を多角的に照明していくことを目的とする。

参考 哲学入門 その4 - KnoNの学び部屋

 

 ミッチェルはエルンスト・カッシーラーの人間観を念頭に置きながら、人間と表象の関わりを次のように定義している。

人間とは『表象動物』、象徴する人(homo symbolicum)である。すなわち、記号ーー他のものの『代役となる』、もしくはそれに『置き換わる』ものーーをつくりあげ、操作することを特徴とする生き物なのである。*5

 

 ミッチェルは4つの項から構成される図式を提示しながら、「表象」と「コミュニケーション」との関係に言及している。

 この図では「表象の軸」と「コミュニケーションの軸」が交錯しているが、これは「表象の軸」がコミュニケーションを媒介する線になると同時に、それを遮断する線にもなりうる、ということを示している。

→コミュニケーションの媒介としての表象には、現れているそのもの以上に作者の見方・視座が反映されており、ときとして誤解・誤謬・虚偽などが派生する原因となる。

 

(以下、わかりにくいんで省略)

 

【今回の三行まとめ】

  • フィッシャーによって提唱された「ナラティブ・パラダイム」は論理だけでなく価値や同一化に重点を置いた新しい考え方を生み出し、アイデンティティや社会と行ったものに対する別の見方をもたらした。
  • 話者の意識的な説得の技術から聞き手の無意識的な反応への焦点の移動は精神分析の世界にも大きな転回を生み出している。
  • ミッチェルは人間を「象徴する人」として定義し、表象とコミュニケーションは媒介であると同時に阻害の要因でもあるとする考えを明らかにした。

 

【今回の宿題】

  • フィッシャーの論文本文
  • 精神分析、とくにラカンの「4つの言説」
  • ミッチェルの論文本文

 

……見れば分かるように、後半結構端折ってます。

 重要なアイデアであることは分かる、けれど別のところで一度触れていはいるし、丁寧に説明すると長くなりすぎてめんどくさい、という感じです。

 ナラティブや表象についての基本的な論文が分かったので詳しいところはそこに直接当たりながら、ということで。

 自分の考え方と近いところも、違うところもあり、整理しないと頭がこんがらがってしまいます。疲れた……。

 

それでは

 

KnoN(140min)