自分一人で、行けるとこまで
雑記。というか愚痴。
読んで楽しいような内容ではないので一応格納。
大学院に行く理由がわからなくなった。
そもそも最初から強い目的があって行きたいと思っていた訳じゃないから、単にだましてた自分の本音に気がついただけかもしれない。
「自分がやりたいと思っていること」を「大学という組織の中でやる」としたら、学際情報学府が「一番イメージに近い」。
これだけのはずだったのに、気づいたら「情報学府に行って修士学生として研究する」ことが既定路線みたいになってしまっていた。
真面目に考えすぎている面があると感じる。
「自分がやりたいこと」を含めて学問的なことに誠実に取り組もうと思ったら、それと同じレベルで話をできる人が周りにいない。テーマそれ自体が即物的か、あるいは「学位論文として手頃」みたいな感じで研究している人が多い。
大風呂敷を広げているという自覚はある。でも何事もやろうと思わない限りは実現しないし、大きな枠組の中で自分の研究の位置づけを考えるというのはどのレベルにおいても当然やらなければいけないはずのことだ。そこを説明できない場当たり的な研究が多すぎて辟易する。
高慢な口ぶりだと承知の上で言えば、「周りと話のレベルが合わない」。
研究したいことについて深いレベルで話ができないなら、人付き合いは煩わしいだけだ。去年の後半から今年の始めくらいはほとんど「研究室での活動=内部事務処理」だった。本筋と関係ないこと「だけ」に神経使うのはもうこりごりだ。
だから今年からは完全にソロとして、自分がやりたいことを自分の行動計画の元に自分のペースでやってきた。そしてそれは実際に自分の中で成果を上げている。ここ数年、あるいは大学入学やそれ以前から散発的に気になっていたトピックがようやく体系的にまとめられ、最終的に自分が目指したいところが見えてくるようになっている。
もちろん最後まで一人で完走できるとは思っていない。行き詰まったら適宜他者からのアドバイスも仰ぐつもりだが、今見えている範囲では「それがないと進めない」というところはなさそうだ。
「アドバイスを求める先」としてそれを専門とする指導教官がいれば、それは確かに都合がいいことかもしれない。でもそれだけのために大学院の入試の勉強をし、修了単位を揃えるためにあくせくと講義を回り、研究室のスケジュールに合わせた行動を強制されるのは割に合わない。
結局のところ、自分は根本のところで他人を信用していないのだ。果たしてこの結論に達するのも何回目だろうか。
自分以上の深さで研究をデザインしている人に会ったことがない。自分以上の想像力で物事を考えている人に会ったことがない。自分以上に論理的に自分がやっていることを説明できる人に会ったことがない。
自分が「お手本」を見せ、立場を譲ったときに同等以上のことをやってもらえるように努力してみたこともあるが、それもどうやら失敗している。最終的には「心構え」「そうやって頭を働かせようという発想があるか」で、本人のやる気次第なのだ。僕がいくらそのように望んでも、他人を思い通りに動かすことはできない。
自分で考えて、自分で実行する。必要な時は自分からアドバイスを求めに行く。
待っていてもアドバイスは降ってこないし、まず自分がどのレベルで問題意識を持っているかを相手に理解してもらうところから始める必要がある。
自分の考えが偏ってしまうのはわかっている。だがアイデアの基礎も固まっていない状態でそこをひっくり返すようなことを言われては永遠に上に組み上がって行かない。有効な議論ができるためには、ある程度の共通理解があって異なる発想を持てる相手でなければならない。
話がそれた。
要するに今は自分一人で行けるとこまで行く、行きたい状態なのだ。転けたときに始めて他人の助けを必要とする。そして何でどういう風に転けたかで必要なアドバイスが異なり、いまから「どこで転けるか」なんて予想して「助けを求める先」を決め打ちする訳にも行かない。
単純に試験勉強が面倒くさいというのもある。
もう学識を広めるような幅広で底浅なまめ知識を詰め込むのには飽きたんだ。自分の脳みそのリソースは全て「自分がやるべきこと」に集中して向けたい。
ここ数日でこんなことに思い悩まされて自分の研究がストップしているのがストレスだ。早く「シャノンの情報理論入門」の精読をしたい。通信情報学でなにがわかってなにがわかっていないのか確認して、コミュニケーションの新しいモデルの構築に何が使えそうなのかを精査したい。
自分が納得する選択肢は「今の独自の学習生活を継続する」だ。やることをやりきって、何が足りなかったかを反省して、次の進むべきステージを選ぶべきだと考えている。今から決め打ちするべきことではない。
仮に木曜日までの期間に出願せず、結局情報学府に行くのがベストだという結論が得られたら、実際に入学するのは早くて再来年の春になる。そこから最短で二年。修了年には28歳になっている。博士まで行くならプラス3年だ。
でもこれは「自分の納得」を得るためには必要なコストのはずなのだ。
「自分は他の人のようなペースでは生きられない。開き直ってやりたいようになる」と今年の春に決めたはずなのに、いざ実践に晒されると決意が鈍る。ストレートで就職したかつての同級生はもはや社会人3年目だ。ぼちぼち結婚の話も聞こえてくる。
焦りを感じずにはいられないが、それで慌てて「普通のルート」に乗れるくらいならとっくに乗っている。割り切れなかったからこんなことろでうじうじしているわけで。
来年どうするかなんてとても考えられないが、とにかく自分に正直になるならば「今大学院を受けるのは早すぎる」。
こんなところでいいや。文字に書き出したら多少気分が落ち着いてきた。
それでは
KnoN