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KnoNの学び部屋

落ち着きのない大学院生が専攻に関係ない(むしろそっちのけで)学んだコトを記録しておく場所

哲学入門 まとめ(終)

関東の天気は荒れるのだろうか。

 

引き続き

哲学入門 (ちくま新書)戸田山和久、2014)

について

全体のまとめ

をやります。

 

哲学入門 (ちくま新書)

哲学入門 (ちくま新書)

 

 

序 これがホントの哲学だ

◯(本書が考える)哲学の中心主題は、「唯物論的・発生的・自然主義」な世界観の中にありそうでなさそうな「存在もどき」たちを位置づけることである。

 

唯物論

=世界は物理的なものだけで出来ており、そこで起こることは物理的なもの同士の物理的な相互作用に他ならない、とする立場。

 

発生的観点

=「存在もどき」たちは、その原型となるものから進化する自然の要求に従って現れてきた、とする立場。

 

方法論的)自然主義

=科学的知見・方法を用いながら哲学し、哲学説もまた科学によって反証されることを認める立場。科学の一部として哲学を行っていく立場。

存在もどき
=「日常生活を営む限り、あるのが当然に思われるが、科学的・理論的に反省するとホントウはなさそうだ、ということになり、しかしだからといって、それなしで済ますことはできそうにないように思えてならないもの」 

 

第一章 意味

チューリング・テストによる知能の判定や、それに対するサールの思考実験(「中国語の部屋」)を通し、「意味を理解するとはどういうことか」という問いが生まれる。

→自らが問題解決の主体となって行動するときに「意味・機能・目的」が存在できるようになる。そして「自分自身の問題の解決」とは「環境への生存的適応」のことである。

このようにして「意味」について考えるための適切な考察のレベルがあぶり出されてきた。
 つまりそれは生存するシステムを考えるレベルだ。そして、意味という概念が、目的といった概念と密接な関係をもつということも見えてきた。
(傍点の代わりに強調。改行は筆者)

 

◯「古典的計算主義」の立場では、「エージェントが意味を理解している=エージェントが計算している表象が何かを意味している」となる。

→表象を「唯物論的・発生的・自然主義的」観点で説明する(=表象の"自然化")ことができれば、「意味の自然化」ができたと言える。

 

古典的計算主義

=「表象という存在者の認定」「思考の言語仮説」「狭義の計算主義」「統語論的エンジン」という四つの考え方からなる認知観・人間観。

自然化

=物事を恣意的な解釈ではなく、因果関係のみによる自然的なものとして説明できるようにすること。

→「唯物論的・発生的・自然主義的」世界観の中に位置づけられたということを意味する。

 

◯意味を自然化する有力な説の一つとして、ルース・ミリカンの提案する「目的論的意味論」がある。

→「本来の機能」という概念を導入し、従来の「因果意味論」において問題となっていた「選言問題」「ターゲット固定問題」を解決できる。

 

因果意味論

=表象Xは事物Aだけが原因で生まれるものとして、一対一に対応させる考え方。
   表象XがAを意味している ⇔ Aが、そしてAだけがXを生み出す原因である

 

 

第二章 機能

◯ミリカンの想定する「本来の機能」概念は、「機能」の概念分析からではなく、理論的定義から生まれた。

→目的論的意味論は、機能の「起源論的説明」である。

 

(機能の)起源論的説明

=いまそこにあるアイテムの(本来の)機能を定めるのに、そのアイテムがどのようにして生じたかという過去の経緯に言及する説明の仕方。
→そこにそういうアイテムがあるのは、過去にそのアイテムがあることがいい効果をもたらしたから。

 

◯ミリカンに対してはロバート・カミンズが「因果役割的説明」という対案を提出している。

→しかし「機能と目的が結びつけられない」「機能不全を説明する余地がない」という点から、これは適切な説明ではない。

→そもそもミリカンとカミンズは理論の中で目標とするところが異なっており、カミンズの理論の文脈の中では、充分に有用な定義・説明であるといえる。

 

因果役割的説明

=あるアイテムの機能は、それを含む上位システム全体の働きにおいて、そのアイテムが果たしている役割によって定義される。
→例えば心臓の機能は、循環系という上位システムの中で「血液を循環させる」という因果的機能を担っていることから定義される(メカニズム説明)。

 

→アイテムがシステムの中で現に何かとして機能している、ということを説明する。
→「水の循環というマクロな現象がどのようなメカニズムで実現されているのかを説明」しようとする課題

 

 

第三章 情報 

◯「意味」が主体の存在を前提としているのに対し、「情報」は解読者を前提とせずとも存在することができる。

物理的世界は、因果の網の目であると同時に、情報の流れとしても捉えることが出来る

 

◯現在使われている情報概念は「知識に関するもの」「確率に関するもの」「アルゴリズムに関するもの」の三種類に大別できる。

→特に「確率に関するもの」(=シャノンの情報理論)を扱いながら、「確率に関するもの」と「知識に関するもの」を結びつけることを考える。

 

クロード・シャノンは「通信の数学的理論」の中で次のような業績を残した。

  1. 通信システムの定義
  2. 情報源の数理モデル
  3. 通信路の能力の定量化
  4. 情報源符号化定理の証明
  5. 通信路符号化定理の証明

◯シャノンらベル研究所系の研究により「情報の心理的側面を捨て、通信の純粋に物理的な側面にだけ注目する(=意味抜き平均情報)」という路線が確立した。

→ありとあらゆる物事に「情報の発生」を定義でき、その生起確率から「情報量」を算出できる。

 

◯シャノンの「情報の量」の議論を「情報の内容」の議論に拡張したのがフレッド・ドレツキである。

→世界は情報の流れとして捉えることができる。情報の量に関する概念のみから情報の内容を導くことができる。

→「知識に関する」情報はその特殊ケースとして統一的な情報観の中に位置づけられる。

 

◯「ゼロックス原理(とその帰結)」「情報は真理を含意する」「生み出された情報そのものの量が伝達されなければならない」という三つの論理的要請から、次のような「情報内容の理論的定義」が生み出される。*1

情報内容の(理論的)定義
信号rが〈sはFである〉という情報内容を伝える
 ⇔ rという条件の下での「sがFである条件付き確率」が1である

 

◯この理論的定義からの帰結として次のことが指摘できる。

  • 一つの信号は同時にいくつもの情報を伝えることが出来る(情報の入れ子構造)
  • 「エージェントAがPということを知っている ⇔ AのPという信念がPという情報によって因果的に引き起こされた」と定義することにより、「知識」を情報の流れの世界の中に位置づけられる。

 

 

第四章 表象

◯「モノからココロがどうやって発生したのか/できるのか」を考えるために、自然界を流れる情報(志向性もどき)がいかにして志向的表象(正真正銘の志向性)にまで進化するかを辿る。

 

志向性(intentionality)
=自分以外の何ものかを思考する、という性質。
「について性(aboutness)」と「間違い可能性」によって特徴付けられる。

二つの特徴を完備する→(正真正銘の)志向性
(ドレツキの議論のように)「について性」のみに着目→志向性モドキ

 

◯ミリカンはドレツキの自然情報の定義が「生きものがそれを利用する理論を構築するのに厳しすぎる」とする。

→生きものが利用できる自然的情報として「局地的情報」を考え、あわせて「情報の消費者」という概念を導入することで「どのように自然的記号から志向的記号を取り出すか」という課題に答えられる。

 

 

第五章 目的 

◯最も表象能力を進化させた生物、として人間が持つ特徴的な能力に「目的手段推論」というものがある。

→「間違いうる表象」を持つことでこの能力は実現できる。

 

目的手段推論
=目的(目標)を設定し、それぞれの行為の選択肢の帰結を考えた上で適切な行動を選ぶことのできる能力。

 

◯(人間を含め)一般的な生物は「オシツオサレツ表象」を元に活動しているとミリカンは考える。

 

オシツオサレツ(pushmi-pullyu)表象
=「事実の記述」と「シチュエーションにふさわしい行動の指令」が表裏一体となり分かれていない表象。 

 

◯「オシツオサレツ表象」の「記述面」と「指令面」が分離して行くことで「あらゆる実践的な用途から分離された純粋な事実の知覚」、ひいては「目的手段推論」が可能になる。

 

 

第六章 自由 

◯「オシツオサレツ動物」は「記述面の表象が生まれたら必ず何らかの行動が指令される」という点で「自由ではない」。

→自由意志と決定論の関係を唯物論的・発生的・自然主義的に考える。

 

◯「人間の行為は外部環境からの入力と内部メカニズムの応答によって決定される」というメカニズム決定論が、われわれの自由と決定論的メカニズムの対立を考える上で問題となってくる。

 

デネットは「自由意志=自己コントロールの能力」と限定的・デフレ的に考え、それにより「自由と決定論」を巡る議論を上手く説明できると主張した。

 

 

第七章 道徳

◯自由というだけでは道徳の評価対象にならない。「道徳的に重要な自由意志」という概念に対し、「自己」という存在をまず構築して行く必要があるとダニエル・デネットは論じる。

→自分自身を「コントロール可能なもの」「一貫性があるもの」として組織することがら「自己」が生まれる。「自己という組織」を経由した行動が責任の対象となる。

 

デネットは自由をデフレ的に捉える中で「望むに値する自由」を考えたが、その「望むに値する自由」が実在するかどうかは証明できていない。

→「自由意志なしの道徳」についての検討を別に必要とする。

 

◯ダーク・ペレブームは「ハード非両立論」の立場から「自由意志なしの道徳」について論じた。

→自由意志の存在を認めない立場においても、道徳システムの中の「善/悪の区別」という部分や徳倫理的な要素は保持される。「賞賛/非難」という要素が失われても道徳が極端に破壊されてしまうことにはならない。

 

 

人生の意味——むすびにかえて

◯われわれの「生きる意味」を脅かすものとして、「ハード非両立論」「ダーウィニズム」「客観的な認識能力」などが挙げられる。

→特に「客観的な認識能力」から生まれる無力感は、われわれが生存のために獲得してきた能力が正しく機能した上での副産物であり、それを克服することは容易ではない。

 

◯トマス・ネーゲルは「そもそも人生の無意味さは解決を要する問題なのか」というところから問いをスタートする。

→主観的に重要な自分」と「客観的にちっぽけな自分」という二つの視点のギャップをアイロニカルに受け入れながら誠実に生きて行くことが「望むに値する人生」を生きて行くということである。

 

 

【今回の三行まとめ】

  • (本書が考える)哲学の中心主題は、「唯物論的・発生的・自然主義的」な世界観の中にありそうでなさそうな「存在もどき」たちを位置づけることである。
  • 「オシツオサレツ表象」からの「純粋な記述面」の分離が、「目的手段推論」「自己コントロール能力」「意味・機能・目的」という人間に取って特徴的な「存在もどき」たちを生み出した。
  • シャノンの「情報の量」の議論を「情報の内容」の議論へと拡張することで、自然状態から「意味」や「表象」の原型となるものが生まれたと説明できる。

 

【今回の宿題】

  • 第五章の後半辺りから全体的に理解が不安
  • 理解不十分+長くて疲れた、ということでこのまとめ自体も後半は省力気味

 

……連載が長かったと思ったら、まとめも長くなってしまった。

 なんども述べているように「第三章 情報」が本テキストを扱った最大の目的でしたが、そこに至るまでの議論(具体的には第一、二、四章あたり)も非常にためになりました。

 第五章以降はやや自分の関心のコアな部分からは外れたものの、刺激的な内容であったことには変わりありません。議論のベースとなっていた、ミリカン、ドレツキ、デネットなどの著作原典にも手を伸ばしたくなってきています。

 具体的な学説だけでなく、哲学的な論理思考の手法などもたいへん参考になりました。

 ここまで学んできたことを踏まえて、次は研究計画書の更新を行う予定です。

 

それでは

 

KnoN(160min)

*1:この辺りの議論の詳細はテキスト本文か、連載の該当回(哲学入門 その3(後編) - KnoNの学び部屋)参照のこと。