現代思想の教科書 その8
二本目行きましょう。
散歩してたら向かい風の影響でホバリングしているセミを発見した。
引き続き
現代思想の教科書 (ちくま学芸文庫)(石田英敬、2010)
の
8 「社会とは何か」 ー象徴闘争と社会場ー
をやります。
※今回かなり大雑把な解釈になっています。ブルデューの思想については決して鵜呑みにしないように。
8 「社会とは何か」 ー象徴闘争と社会場ー
私たちが日頃の生活のなかで「社会」を感じるのはどのようなときだろうか。
フランスの社会学者ピエール・ブルデューは「自分と相手の背景の間にある「差異」を意識した瞬間」にそれが現れると考えた。
双方の社会的差異、社会的弁別の仕組みを考えながら「社会がどのようにして私たちの前に現れるか」を考える。
ブルデューその人の文脈
ブルデューは1930年、フランスとスペインの国境ピレネー山脈付近の片田舎ベアルン地方で生まれた。
郵便局員の父のもと庶民的な、いってしまえば貧乏な過程に生まれ育ったブルデューであったが、公教育の中で優れた成績を残しやがて高等師範学校に入学する。
田舎から出てきた自分と中央(パリ)の恵まれた環境、裕福な家庭に育ったクラスメイトたちとは、その文化的な文脈が全く異なっていることに気づいたことがブルデューの学問的キャリアの出発点となった。
……そのような彼が注目するのは、パリのエリートたちの世界の見方と、地方の人々、貧しい庶民といわれる人々のそれとでは、世界の見取り図の作り方が異なっていること、社会階層や社会的カテゴリーによって世界の意味づけのあり方が大きく違っているということです。
文化における意味づけというものが、支配的な階級・社会グループが、被支配のマイナーな社会階層に、自分たちの社会についての意味づけの図式を押しつけるという問題をはらんでいること、そこには様々な葛藤と闘争が繰り広げられていることに、学問的なまなざしを向けていくことになります。
(改行、強調は筆者)
当初パスロンと共に高等教育の社会学的な意味を問うことから自分の仕事を始めたブルデューであったが、それを教育のみならずスポーツや娯楽といった文化全般にまで拡大させて論じたものとして『ディスタンクシオン』(1979)を発表する。
- 趣味嗜好といわれているものは、人々によって生きられている「文化」という世界の意味づけの体系である。
- 一人ひとりの生活者は、自らが所属する社会集団が受け継いできた読み取りの図式に従って、他の社会的行為者たちの文化的徴(しるし)を読み取っている。
- そのことで一見自然で自由的な判断が働くと考える趣味のような活動領域においても、社会的階級に応じて培われた「社会的判断力」が働いているのである。
⇒特にイギリスにおいて顕著だが、上流階級と労働者階級では話す言葉、趣味、居住地、応援するフットボールのチームまですべて異なっている。
日本においても社会階層によってその行動原理が異なることは明らかである。
先日紹介した『ヤンキー経済』は「マイルド・ヤンキーと呼ばれる社会階層」の行動原理を解明した調査である。
場をめぐる闘争
ブルデューの社会学には2つの中心概念として「ハビトゥス habitus」と「場」というキーワードがある。
ハビトゥス(habitus)
=一人ひとりの人間が知らず知らずのうちに身につけている習慣。個人としてではなく、むしろ集団的に共有されることによって受け継がれている象徴的な生産能力のこと。
→話し方、所作という身体的なモノだけでなく、世界の読み方、解釈の仕方といった思想的な面をも含む。
場(field、仏champ)
=ひとつの共通項を媒介として成立する社会的圏域。システムとしての構造性を備え、行為者たちを結びつける客観的位置関係(=構成原理、ルール)を持っている。
ブルデューによれば、ハビトゥスとは「身体化された歴史」であると定義される。
⇒その人が生まれ育ってきた文化的背景が、その身体の振る舞い方として端々に現れる。
ハビトゥスは「世界をどう読み取るか・解釈するか」という「意味の生成」に大きな影響力を持つ。
→ハビトゥスの文化を作り出すための元手となる側面を「文化資本(象徴資本)」という。
⇒個々人は自らのハビトゥスに従う形で、社会の中に自己の意味を実現していく。
社会は様々なハビトゥス(文化的背景)をもった行為者たちが、自己の意味実現を求めて競合するいくつもの「場」からなりたっている。
→それぞれの社会場・文化場において、行為者は自らの作り出していく意味づけの価値の序列をめぐって、ほかの行為者たちと絶えざる「象徴闘争」を繰り広げている。
教育と校風
このようなブルデューの理論は、前章でフーコーが提起した「規律型社会」の問題系とあわせて応用的な問題に適用することが出来る。
学校は一般に「社会の再生産の装置」であると考えられている。
→このとき学校は様々な出自を持つ子どもたちを受け入れて統一的な規範(ディシプリン)を与え、その学校出身者としての気風(ハビトゥス)を獲得させて世に送り出す、ということを行っている。
→結果として求められるディシプリンは同一だが、その方法論としてのハビトゥスが異なる。各校はそれぞれの校風にそったハビトゥスを持つ子弟を引き寄せ、選別し、再強化して輩出する。
→学校とは、教育のディシプリンを通して、人間の子どもたちのハビトゥスに働きかけて、社会の階級を「再生産」するシステムである。
→ただし、あくまで「古典的な近代社会の理念型」として。
【今回の三行まとめ】
- ブルデューは個人の持つ様々な文化的背景が「身体化された歴史」として分ち難く取り込まれていることを指摘し、それを「ハビトゥス」と呼んだ。
- 社会は、任意の構成原理を持つ様々な「場」によって構成される。それぞれの「場」において行為者は自らの持つハビトゥスを主流と認めさせるため、「象徴闘争」を行っている。
- 学校というシステムは、ディシプリンを与えて社会の成員を再生産するだけでなく、特定のハビトゥスをもつ成員を輩出するという「階級の再生産」の装置でもある。
【今回の宿題】
- 全体的に隙のある理解
- 大きい「社会」とそれぞれの「場」の関係性
……「ハビトゥス」という概念が難しい。誤用も多く正確に理解しにくい概念(らしい)ので、ここで書かれていることもあまり鵜呑みにはしないように。かなり筆者の解釈が入って単純化されてます(大事なことなので二回いました)。
ブルデューの名前はそういえば社会学の授業で聞いた気がするけど、その内容はすっかり抜け落ちてしまっていた。全く新しいことについて学ぶような気持ちだったが、元のテキストの性質もありディテールの理解が甘い気がする。
それでは
KnoN(90min)
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