ストーリーメーカー その1
気づけばGWも最終日です。
気づけば木曜提出のレポートに手をつけていません。
気づけば午後は用事があるので、あまり時間が残されてません。
気づかなければよかったのに……。
引き続き
ストーリーメーカー 創作のための物語論 (アスキー新書 84)(大塚英志、2008)
の
第一章 物語の基本中の基本は「行って帰る」である
をやります。
ストーリーメーカー 創作のための物語論 (アスキー新書 84)
- 作者: 大塚英志
- 出版社/メーカー: アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2008/10/09
- メディア: 新書
- 購入: 29人 クリック: 251回
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第一章 物語の基本中の基本は「行って帰る」である
そもそも、物語の文法の一番の基本は「欠落したものが回復する」「行って帰る」の2つである。これらが組み合わされつつさまざまなバリエーションを生み出している。
まず第一章では「行って帰る」パターンについて理解しておく。
「日常の再発見」こそ物語の本質
「行って帰る」という枠組が物語の最も基本的なパターンであることを指摘したのは、今では映画『ロード・オブ・ザ・リング』の「原作」としての方がむしろ有名になってしまったJ・R・R・トールキン著『指輪物語』の訳者としても知られる、児童文学者だった故瀬田貞二です。瀬田はこの「行って帰る」という枠組を「行きて帰りし物語」とも読んでいましたが、それは『指輪物語』の前段にあたる同じトールキンの作品『ホビットの冒険』の本来のタイトル"The Hobbit or There and Back Again"にもそもそも見出せるものだと述べています。
(強調は筆者)
→「行って帰る」物語は「小さい子供たちに取って、その発達しようとする頭脳や感情の働きに則した、一番受け入れやすい形」である。
ここでマジョリー・フラック『アンガスとあひる』という絵本を例としながら、その枠組の持つ意味を検証する。
……これはアンガスという黒いスコッチテリアが主人公で、垣根の向こうにいるあひるが気になるあまり、垣根をくぐり抜けて「向こう側」に行くのだけれどあひるに追いかけられて逃げ帰ってくる、というだけのお話です。……しかし、この絵本には「行って帰る」物語をつくりあげるために必要な要素がきちんと示されていもいるのです。
(強調は筆者)
「行って帰る」物語の基本要素は「こちら側(here)」「向こう側(there)」の2つの世界、そしてそれらを隔てる「境界線」の3つである。*1
「こちら側」にいる主人公が、「境界線」を越えて、「向こう側」に行き、「こちら側」帰ってくる。これが全ての基本となる。
こちら側(here)=日常の世界。安心の象徴。
向こう側(there)=非日常の世界。興味、好奇心の対象。冒険・不安の象徴
安穏とした日常(こちら側)にいる主人公が、未知のものへの好奇心から「向こう側」に旅立ち、非日常の世界で厳しい状況に立たされる。それを乗り越え、安心できる日常に再び戻ってくる。
「未知のもの」へと触れるだけならば行きっぱなしでも良いが、「帰る」ことによって初めて元いた場所の意味が確認できる。
→主人公に取っての「日常」「現実」の確かさが「行って帰る」というプロセスを経て実感される。
→「日常の再発見」が物語の本質。
※この戻ってくる「日常」は必ずしもスタート地点と同じである必要はない。安心で安定的な状態が再獲得されることが「日常への帰還」である。
物語構造の基本であるため、実例は枚挙にいとまがないが、特に宮崎駿作品はこの文法に忠実であると説明されている。
『千と千尋の神隠し』は冒頭でトンネルを越えて神の世界に「行き」、さらにそこから列車に乗って銭婆のところへ「行く」という2段構えの「越境」が用意されている。
知名度はないが、ジブリ美術館で不定期に公開されている(らしい)『めいとこねこバス』という20分弱の短編では、よりシンプルな形でそれが取り込まれている(詳しくは自分で見るか、テキスト本文参照のこと)。
「向こう側」の世界で主人公は「成長」する
思想史家の藤田省三は、この「行って帰る」物語にはさらに「成年式(通過儀礼、イニシエーション)」の反映がある、と述べている。
民俗学において「通過儀礼」は3つのプロセスからなるというのが通説になっている。
- 儀礼の参加者を家族や従来の生活圏から引き離し、「向こう側」に行かせる(『死』)
- 「向こう側」で起こる出来事を経験する(『試練』)
- 「向こう側」から現実に「戻って」くることにより、「行った」ときとは違う何者かに変わっている(『再生』)
これはまさしく「行って帰る」物語の構造である。
→「行って帰る」物語は、子供が大人になる「成長」のためのプロセスとしてあるといえる。
なぜ主人公は「旅立つ」のか?
「行って帰る」物語が主人公の成長の為に必要なプロセスを描くための構造であることを確認した。
ではそもそもなぜ主人公は日常の世界を脱し、「向こう側」へ旅立つのか。
詳しくは次回以降の話となるが、冒頭で挙げたもう一つの基本「欠落したものが回復する」がその答えとなる。
主人公は物語の開始時点において何らかの「欠落/満たされなさ」というものを感じている(→上の『アンガスとあひる』の例でいうと、好奇心)。
それは日常の中では回復され得ない。そのために非日常に身を投じるというのが、より一般的な物語の基本構造となる。
⇒いわゆる「巻き込まれ型」の主人公もいるといわれるが、その場合でもトラブルの中で「奪われて」取り戻すべきものが生まれたり、非日常の中で「満たされない心」を自覚するという経路で上記の構造に回収される。
【今回の三行まとめ】
- 物語の文法の基本中の基本は「欠落したものが回復する」と「行って帰る」。
- 未知で不安な「向こう側」から安心で安定な「こちら側」へ帰ってくることで、日常を再発見する。
- 「行って帰る」物語は子供が大人になるための通過儀礼としての側面を持つ。
【今回の宿題】
- 特になし
……基本中の基本、それに理論よりは実用というテキストなので、あまり伝えるべきことは多くありません。「行って帰る」が全ての基本である、ということを丁寧に説明してあるだけですが、これを自覚しているのといないのでは、やはり大きな違いになってくると思います。
次回はプロップの『昔話の形態学』を題材に、物語を構成する要素についてもう少し詳しくやっていきます。
それでは
KnoN(70min)
*1:これは『知の編集工学』における「ワールド・モデル」の説明のところでも見られた分類だ。文学は想像力の「荒唐無稽ないしは不条理への飛翔」としての発現だと説明されていた。